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野村勇

のむらいさみ

野村勇は、兵庫県神戸市垂水区出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。
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概要編集

1996年12月1日生まれ。

香川県の寒川高等学校から拓殖大学に進学。拓殖大学野球部に所属するも入部時はBチームだった。1年秋から2部リーグであったが、その後4年生の時にレギュラーを掴み、チームの主戦力として活躍する。拓殖大学野球部時代の同期に岸潤一郎がいる(なお、岸は中退)。


拓殖大学卒業後は、NTT西日本硬式野球部でプレーした。都市対抗野球は3年連続でチームが、自身は2年目から試合に出場した。


2021年10月11日のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから4位指名を受け[3]、12月8日に契約金5000万円、年俸1200万円で入団に合意した(金額は推定)。背番号は99[5]。球団に同じ苗字の選手である野村大樹が在籍しているため、報道およびスコアボード上の表記はフルネームの「野村勇」、背ネーム表記は「I.NOMURA」となる。


2022年は新人ながら開幕を一軍で迎えた。3月29日(対ロッテ戦・ZOZOマリンスタジアム)には、延長10回無死一塁の場面で、中村晃の代走に起用されると、盗塁を決め、タッチアップで一死三塁とし、今宮健太の三塁ゴロ(記録は野選)の間に頭から本塁へ突入して間一髪のタイミングで決勝点となる得点を記録した。4月6日の対オリックス・バファローズ戦に2番・左翼手として出場し、プロ初スタメンを経験。この試合の第二打席では田嶋大樹からプロ初安打となる三塁への内野安打を放った。4月21日の対オリックス・バファローズ戦では田嶋から5回無死一塁からバックスクリーン直撃の本塁打を放ち、これがプロ入り初本塁打になった。8月21日、対日本ハム21回戦(福岡PayPayドーム)で2本の本塁打を放ち通算10本塁打となり、日本プロ野球史上59人目、パ・リーグでは2016年の吉田正尚(オリックス)以来6年ぶり史上21人目となる新人選手による2桁本塁打を達成、併せて、1950年に蔭山和夫、1961年に小池兼司がそれぞれ達成した2リーグ制以降の球団新人シーズン最多本塁打記録9本を更新、1リーグ時代の1939年に鶴岡一人が達成した球団記録に83年ぶりに並んだ。その後本塁打はなかったものの、シーズン最終戦となった10月2日のロッテ戦(ZOZOマリン)8回表二死から振り逃げで出塁したデスパイネの代走として出場した際に、二盗を試み、一旦アウトと判定されたものの、リプレー検証により判定が覆りセーフとなり、これがシーズン10盗塁目で、パ・リーグでは1985年の熊野輝光(阪急)以来37年ぶりとなる新人選手による2桁本塁打&2桁盗塁を達成した。クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第3戦では、オリックス田嶋大樹から本塁打を放ち、これがCSでは史上球団初、他チーム・リーグを含めても2017年セ・リーグCSの大山悠輔(阪神)以来となる新人の本塁打となった。


2023年は2月の春季キャンプ中に下半身のコンディション不良でリハビリ組に回り、一軍開幕戦が開催されたのと同じ3月31日、尼崎市内の病院で内視鏡下椎弓形成術を受け、復帰まで約2か月と発表された。その影響でシーズン初の出場選手登録が6月6日まで遅れたこともあり、出場試合数は前年の97試合からほぼ半減となる50試合、打率.160、本塁打数は僅か3本にとどまった。


2024年春季キャンプ中の2月20日、左坐骨疲労骨折により離脱。


選手ての特徴・人物編集

走攻守で高い能力を発揮する内野手。一発長打を秘めるパンチ力、50m走のタイム5秒8の俊足、遠投120mの強肩を誇る。本職の遊撃手に加え、二塁手、三塁手、外野手もこなせる。


愛称は「タラコ」、「イサミちゃん」。


趣味は実家で飼っている文鳥の「ちゅんちゅん」と散歩、ゴルフ、釣り。


プロ入り前の2021年3月に結婚し、同年9月には第一子が誕生している。


弟も、同じく拓殖大学野球部でプレーしていた。現在は社会人野球チームの鷺宮製作所でプレーを続けている。

関連タグ編集

プロ野球選手 福岡ソフトバンクホークス 内野手 外野手

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