金九
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きむぐ
韓国では英雄として讃えられている一人で独立運動家。
本名は金昌洙(キム・チャンス)だが改名して金九(キム・グ)となった。
「ペトロ」という洗礼名を持つカトリック教徒でもあった。
あまりにも過激だったため、韓国でも彼に否定的な評価をする人が居る。
1931年に韓人愛国団という日本の要人を殺す為の組織を作り、暗殺や爆破テロなどを指示していた。
アメリカの統治下にあった頃の南朝鮮では政治家になっていたが、やったことがやった事だけに韓国の政党の内の一つの党首が殺された時には容疑者として疑われた。
冷戦の影響で朝鮮が北と南に分かれる事が決まった時にはそれに反対して南北統一を叫んでいたが、朝鮮戦争前の当時は反共姿勢を優先していた南と吸収に近い形での統一を狙っていた北の双方に拒まれ、その失意で政治家を引退した。
そして朝鮮戦争が始まる前の年である1949年の6月、李承晩に近い思想を持っていたとされる韓国軍の安斗煕(アン・ドゥフィ)に短銃で撃ち殺された。
そして金九が死んで数十年もの時が経った2002の10月2日、彼を讃える白凡記念館(ペクポムきねんかん)が開館した。
鴟河浦事件(チハポじけん)
1896年3月9日、「注文した順に関わらず年上を優先すると考えていた」金九が、自分よりも年下の日本人が注文した料理が先に来た事に腹を立てて起こした殺人事件。
集団リンチで殺した日本人の遺体を河に捨て、「義兵」と称して金品とロバを奪った。
逃走後に捕縛されて死刑判決を受けたが特赦によって減刑された。しかし金九は脱獄した。
韓国では鴟河浦義挙(チハポぎきょ)として讃えられている。