概要
貧しい農家に産まれて苦学ののち判事から弁護士となり、「人権派弁護士」として知名度をあげる。
なお、大卒ではなく独学で法律家の資格を取得している。
金泳三に見いだされ1988年に政界デビュー、2002年に大統領選挙で当選。
弁護士時代の部下である文在寅も後に大統領となっている。
しかし国会では自身の所属する与党が少数派など苦境が続き、さらに弾劾訴追を出されて一時大統領職を停止させられるなどその政権運営は波瀾万丈どころではなく、本人も数えきれない程の物議を呼ぶ発言が多かった。※もっとも、韓国においては政権運営がグダグダになるのが常態であり、まずまず無事な政権運営を行えた大統領は前任の金大中くらいなものである。
また北朝鮮に対しても融和的な姿勢を取り、アメリカに対しては強硬姿勢を取った。しかしイラクへの派兵には協力。
日本に対しては、当初は「未来志向で行く」と公言していたものの、政権の迷走で支持率が低下すると、日本叩きで支持率を稼ぐようになった。
更に2005年には、韓国市民の一部が徴用工問題に関する蒸し返しの訴えを日本政府や新日鉄住金に行ったのを機に、1965年において結ばれた「日韓基本条約」の中でも重要視されていた「請求権協定」に関し、実質反故にするかの様な主張を始める。それに便乗する形で与野党議員の27人までもが基本条約の白紙撤回までも決定。基本条約の際に日本側が賠償と経済発展を兼ねて11億ドルと言う多額を支払いをしたにもかかわらず、徴用工被害者達に対し、再度賠償と謝罪を行うよう日本政府側に要求するという暴挙に出て、日韓関係の悪化を加速化させる事態を招いた。
※もっとも、韓国においては政権初期は親日、末期になると反日になるのが常態であり、対日姿勢がブレなかった大統領は前任の金大中(最後まで親日だった)と二代後の朴槿恵くらいなもの(最初から反日全開だった)である。
退任後には不正資金疑惑が浮上、逮捕も近いと思われていた矢先、2009年5月23日に自宅の裏山から飛び降りて自殺、62年の生涯を終えた。
その死には不自然な点も多く、陰謀論も囁かれている。
そのグダグダ極まる政権運営と斜め上発言の量産から日本の各掲示板での政治ウォッチ系スレッドでも話題を集め「ノムタン」と呼ばれていた。