概要
浮世絵師鳥山石燕による『今昔画図続百鬼』の中で、眉毛がぼうぼうに伸び、お歯黒を黒々と付けた女官の姿で描かれた妖怪。
解説文には、荒れ果てた古御所で誰か(おそらくは昔の恋人か?)が訪ねて来るのに備えて常に化粧をしているとある。
室町時代に描かれた『百鬼夜行絵巻』(真珠庵所蔵)などにも鏡をのぞきながらお歯黒をつけたりする女官の姿の妖怪達が描かれており、石燕の妖怪画はこれが原型であるといわれている。
青女房あるいは青女という呼び方は、本来の意味では貴人に仕える若い女性、もしくは未熟な女性を指し(青二才と同じ)、そうした言葉を元にした創作妖怪として、石燕が描いたものであるとも解釈されている。
鳥山石燕以外にも、江戸時代の絵巻物等には女官姿の妖怪に対して「あおにょうぼう」という呼称を用いて描かれたものが見られ、尾田郷澄の『百鬼夜行絵巻』では扇を持った姿で描かれており、青女坊という名前が記されている。『百物語化絵絵巻』では同じデザインの妖怪が下口という名前で描かれており、こちらでは目の充血した女が団扇を仰いでいる姿で描かれている。
『吾妻鑑』の中で鎌倉幕府三代将軍・源実朝がこれに似た妖怪に出くわした記述があり、陰陽師を呼び、「特に問題はない」と言われたが、不安を与えない為の配慮と一応お祓いをしたという。ただ翌日地震があったとされる。実朝は青女をはじめ、度々怪異とでくわしており、怪異はこの前兆ではないか?と記述されている。