概要
現在の栃木市にある曹洞宗の寺院で関三刹の1つである大中寺の由来にまつわる伝説である。稚児への愛執からカニバリズムに耽るようになった僧侶を、快庵禅師が解脱に導く話である。
物語
昔、快菴禅師という曹洞宗の徳の高い禅僧がいました。少年時代から禅宗の本旨を極めたまい、常に諸国行脚をなさっていました。
ある年の秋のこと、禅師は奥羽の方へ修行の旅に出て、その道中で下野の国の富田という里を訪れ、日が暮れたので長者の家に立ち寄り、一夜の宿を求めようとされたところ、丁度仕事を終え、田畑から戻って来た長者の下男達が、禅師が青頭巾を被って物乞いのようなみすぼらしい恰好をして立っているのを見て、たいそう恐れた様子で「鬼じゃ!山の鬼が出たぞ!!」大声で叫び、大騒ぎになってしまい、長者が斧を持って駆け付けると、それが鬼ではなく、本物の僧侶だと気付くと馬鹿な下男達の非礼を詫び、禅師を鬼と勘違いしてしまった深い訳を話しました。
近くの山の上に元々は小山氏の菩提寺で、代々徳の高い僧が住んでおられた真言宗の寺があり、今の住職は、さる高貴なお方の身内に当たる篤学の高僧であったが、去年の春、越の国の寺で行われる儀式に出席する為に百日あまり旅に出て、旅先で十二・三歳ほどの稚児と出会い、召使いとして連れ帰ったが、その稚児があまりにもの美少年であった故に住職は衆道にはしって年来の勤めも怠りがちになってしまい、今年の四月頃、その稚児が病に倒れ、住職の国府の主だった医師を迎える等の懸命な看病の甲斐も空しく帰らぬ人になってしまい、住職は悲しみの果てにその死肉を食らい、骨をなめ、食い尽くして生きながら鬼と化してしまい、里の墓をあばき、屍を食う等して里人達に害をなすようになってしまい、里人は鬼と化した住職を「山の鬼」と呼んで恐れているという。
禅師はこれを聞いて、古来伝わる様々な業障の話を聞かせ、この鬼を教化して正道に戻す決心をし、その夜、禅師は件の山寺に向かうと、そこはすっかり荒廃していて、一夜の宿をたのむと、現れた住職は、「好きになされよ」と不愛想に言い、寝室に入っていった。真夜中、坐禅を組んでいると、鬼と化した住職が部屋から現れ、禅師を探すが、目の前に禅師がいても見えずに通り過ぎ、あちこち走り回って踊り狂い、疲れ果てて倒れてしまった。夜が明け、住職が正気に戻ると、禅師が変らぬ位置に坐っているのを見つけ、呆然としている。禅師は、飢えているなら自分の肉を差し出してもよいと言い、昨夜はここでずっと坐禅を組んでいたと告げると、住職は愛欲に溺れて餓鬼道に堕ちた自分の浅ましさを恥じ、真の生き仏である禅師に救いを求めた。禅師は住職を庭の石の上に座らせ、被っていた青頭巾を住職の頭に乗せた。そして、証道歌の二句を公案として授けた。「江月照松風吹 永夜清宵何所為(江月照らし 松風吹く 永夜清宵 何の所為ぞ)」この句の真意が解ければ、本来の仏心に出会うことになると教えて山を下り、東北へ旅立って行った。
一年後の十月、禅師は旅の帰りに富田へ立ち寄り、長者に様子を聞くと、あの後から鬼が山を下った事は一度も無く、地獄が浄土になったと言って喜んでいた。里人は鬼の災厄を逃れたが、住職の生死が分からなかった為、山に登る事は禁じられ、現在の様子は誰も知らなかった。そこで禅師が山に登って寺の様子を見てみると、そこはさらに荒れ果てていた。庭の石の上にうずくまる影があり、傍によると、低い声であの公案の文句をつぶやいているのだった。禅師は杖をもって「作麼生(そもさん)、何の所為ぞ」と頭を叩くと、たちまち住職の体は氷が朝日に解けるように消え、あとには人骨と、あの青頭巾だけが残った。こうして、住職の妄執は消え去ったのであった。改庵禅師はその後、この山寺を真言宗から曹洞宗に改めて再興し、新たな住職に就任した。これが北関東の曹洞宗本山として大いに栄え、現在の栃木市の大中寺である。
余談
小泉八雲の執筆した怪談の1つ「食人鬼(じきにんき)」は、このお話を基にしたものである。
関連動画
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関連項目
赤頭巾:Pixivではなぜか頭巾の色を青くした赤ずきんが描かれることもある