概要
中国人の父親と日本人の母親の間に生まれる。父は第二次世界大戦後に中国から来日して高中姓の母と結婚したことから、小学4年生の時に正義本人も日本へ帰化して劉正義から高中正義を名乗ることになった。
中学時代からギターを始め、武蔵工業大学付属高等学校在学時にエイプリル・フール(細野晴臣と松本隆がはっぴいえんどの前に結成していたバンド)のコンサートに飛び入りで演奏する。
それが縁で同バンドのキーボーディストの柳田ヒロに誘われて1971年に彼のバンドでデビューする。
その後元ザ・フィンガーズの成毛滋と元ジャックスのつのだ☆ひろが結成したストロベリー・パスに移籍し、バンドをフライド・エッグと改める。同バンドではベースに転向させられるも、成毛から音楽理論とギター奏法の基礎を叩き込まれ、さらにスタジオミュージシャンとしてギタリストとしての仕事ももらう。
フライド・エッグが解散し、つのだが加藤和彦らとサディスティック・ミカ・バンドを結成すると高中も誘われ、悲願のリードギタリストとなる。その後つのだは脱退するが、高中は再結成を含めて加藤とともに最後まで関わる。
1975年、加藤とボーカルの福井ミカの離婚のためサディスティック・ミカ・バンドは解散となり、高中は他のメンバー(高橋幸宏、後藤次利、今井裕)とサディスティックスを結成する。
1976年、自身初のソロアルバム『SEYCHELLES』を発表し、以降はサディスティックスとソロ活動を併行していくようになる。他のメンバーもソロ活動と掛け持ちし、いずれもソロ活動のほうに比重を置くようになったため、サディスティックスは自然消滅するように1978年に解散した。
以後はギター演奏をメインとしたフュージョン・ギタリストとして活躍。
バンド時代は歌うこともあったが、歌唱力に自信がなく、他にボーカリストを迎えるとそちらがメインとなってしまうのでフュージョンに専念している。
使用するギターは当初はヤマハ・SGがメインだったが、近年はほとんどストラトキャスターである。
キティレコード(及びキティフィルム)繋がりなのか、『うる星やつら(昭和版)』等のアニメにもBGMとして楽曲提供している。
アニメとは直接無関係ではあるが、刑事ドラマ『部長刑事』シリーズ(新・部長刑事アーバンポリス24)のop曲として「ポジティブタッチ」が採用された。この頃の番組編成との兼ね合いもあって関西の大きいお友達の間で有名となった。