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概要

17世紀初頭、衰微しきっていた明王朝に現れた宦官である。

去勢した理由がギャンブルに負けた上で突発的にと言うのもまずすごいが、それからもすごい。

皇子様の食事係として成り上がり、その皇子が皇帝になると出世したと言うのはまだわかるが、その際に愛人とその相手を殺害する。

こうして北宋の八代皇帝ばりに趣味しかしないような天啓帝を差し置いて最高実力者となった彼は、本格的に暴走しだす。


  • 「俺っていにしえの聖人の堯や舜並みの存在だし」って訳で「堯天舜徳至聖至神」とか名乗り出す。
  • 部下には「俺って孔子と並べられるレベルだぞ」とか言わせる。
  • 民衆に「九千歳!」(だって万歳は皇帝にしか許されないし、千引いたらいいんじゃね?)と言わせ(のちに「ああ俺やっぱ偉大だから百ぐらいでいいか」と「九千九百歳」まで増やした)る。

このような体たらくだからもちろん政治がうまく行くはずもなく、下手に頭が良いから少しでも悪口を言えば拷問・処刑とどっかで見たパターンのオンパレードと化す。

そんでこの隙を北の王朝が見逃すわけもなく攻撃開始。もちろん軍事的才能があるはずもない魏忠賢には袖の下を贈れば負けても見逃してもらえるからガンガン領国をむしり取られる事になる。


天啓帝が死んで崇禎帝に代替わりするとあっさり自殺したが、もはや明の終焉は決定的になった。


清の代では宦官の影響力は低下したため、良くも悪くも絶大なる影響力を持つ宦官は彼が最後だったとも言えよう。


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