2位じゃだめなんですか
にいじゃだめなんですか
世界一になる理由は何があるんでしょうか?
2009年11月13日に行われていた事業仕分けにおけるスーパーコンピュータ事業を巡る議論の中で蓮舫氏が発した一言。
一般的には日本の科学技術発展を軽視した迷言と一笑に付されることの多い発言なのだが、当時のスパコン事業の背景、さらには「1位」の意義などを理解したうえで当時の議事録(リンクは後述)を読んでみると、また受け取り方が変わってくる発言である。
(※以下では「1位」などの表記について、特に断りのない限り、2009年当時に重視されていた「ある計算テスト(HPLベンチマーク)」の演算速度(のみ)に応じたランキングである「TOP500」という指標に基づくものとする)
(なお2024年現在ではこの指標は用いられておらず、計算方法を変更した「HPL・HPCG」や、グラフ理論に基づく「Graph500」、電力効率に基づいた「Green500」等が指標に用いられている)
まず、この発言が出たそもそもの原因は、紛れもなく当時進められていたスパコン事業そのものにあると言って良い。
というのもこの当時、スーパーコンピューター事業そのものがあろうことか55年体制、――いや明治維新以降の日本の官制プロジェクト悪弊の最大の塊と化してしまっていたからだ。
日本の官製スーパーコンピューター事業は2つの性格を持っており、一つは「日本のコンピューター技術の先進性を確保するための要するにスパコンの開発そのものが目的の事業」であり、もう一つは「天文学・宇宙開発などの学術研究を目的とした事業」である。そしてありがちな派閥意識により前者が経済産業省、後者が文部科学省の主導になっている。これ自体は官製スパコンをやっている国家ならどこの国でも同じなのだが、問題は近代日本独特の「1度縦割り組織間での連携が失われると派閥争いのために協力するどころか足を引っ張り合う」体質。
しかも、開発元である理研・文科省は「1位になれなければ作る意味が無い」と言いつつ「この時点では『ライバル側に失敗や不測の事態が起きない限りは1位は難しく、仮に1位になれても短期間の1位で終る』」事を認めているという絵に描いたような「自縄自縛」「自分で自分の首を絞める」という状態に陥っていた。
経済産業省はNEC、文部科学省は富士通と各々ズブズブであり、NECと富士通がそもそもライバル同士であることも手伝ってバブル以前は両者に全く統一性がなく、各々自社製CMOSプロセッサによる開発に血道を上げていた。ハイテクバブル崩壊によりPC-9800が終焉したこともあって統合が進んだが、現実には両者は平然と足を引っ張り合っていた。
…のだが、これはそもそも1972年に当時の通商産業省がIBMに各企業が個別に対抗して共倒れすることを防ぐために、「富士通と日立製作所」(IBM互換機)、「東芝と日本電気」(ゼネラル・エレクトリック (GE) の互換機)、「三菱電機と沖電気工業」(独自規格)の3グループで各社に「IBM対抗機」の開発に当たるように指導した事が発端である。この3グループを「三大コンピューターグループ」と呼ぶ(詳細はリンク先参照)
その結果、開発費用は増大して予算を超過してしまっていた。
また、この迷走の理由の1つとしては、そもそも当時のスーパーコンピューターには大きく分けると「スカラー型(簡単に言えば、超高性能だが後述するベクトル型に比べると基本仕様は当時の普通のPCなどに近いもの)」と、「ベクトル型(並列処理が得意な、言わば最初からスパコン専用に設計されたもの。通常のPCで喩えるならCPUよりGPUに近く、少なくとも当時は「性能がほぼ同じ」場合には消費電力などの運用コスト面でスカラー型に劣る場合が多かった)」の2種類が有る。
2024年現在は、スカラー型(CPU)の性能が物理的限界によって頭打ちとなり、かつベクトル型(GPU)の計算能力が著しく上昇し、双方の能力を組み合わせたGPGPUという計算方式が重視されている。
当時は、実力を発揮するや世界中に「コンピュートニクショック」を巻き起こし、特に自国の優位を確信していたアメリカを「スプートニクショック」以来の混乱に叩き落とし、長期間に渡って「世界一」を保持し続けていたスーパーコンピューター「地球シミュレーター」がベクトル型なのに対して、世界のスーパーコンピューター開発の趨勢は米国の猛烈な巻き返しによってスカラー型(でベクトル型をシミュレートする「並列計算」)に移りつつ有った。
よって、
どちらのタイプの設計にするか仕様が決らない
→スカラー型とベクトル型のハイブリッドにしてしまえ
→スカラー型が得意な富士通とベクトル型が得意なNECの両者が共同開発先となる(日立製作所はNEC担当部分のサポート)
という嫌な予感しかしない経緯が有った事があげられる。
※更にはスカラー型とベクトル型には得意分野の違いなども有り、例えば、ベクトル型の代表格の名前が「地球シミュレーター」であるように「天候や地震の予測やそれらの科学モデルの検証」「有害物質などが海に流れ出た場合に、どのように拡散するかのシミュレート」などはベクトル型が得意だが、当時注目されていた「遺伝子解析やバイオテクノロジー関連の大規模計算」はスカラー型が得意だった。
なお、ベクトル型である「地球シミュレーター」は現在もバージョンアップを続けており、2021年3月に4代目のシステムが稼働を開始している。要は「適材適所」が重要なのだ。
当時の状況では「世界一」を目指すなら「スカラー型」が安全牌で、「他の世界上位のスパコンが苦手なものこそ得意分野」「地球温暖化など環境問題関係のシミュレートに特化する」の「オンリーワン」を目指すなら「ベクトル型」という状況と言えた。
※なお、スカラー型のスパコンが世界的な潮流だったのは、あくまでも「この時点」での話であり、2010年代後半以降登場したディープ・ラーニング型などの新しいタイプのAIにはベクトル型が向いているため、そちらへの回帰の動きも見られている。
結局の所、ミもフタもない話だが、「スパコンを実際に使う人達が求めているスパコンは具体的にどのようなものか?」→「今はこうだ、という事は言えるが、2〜3年後はどうなってるか判らない」、「世界一のスパコンを作れる可能性が高いのは、どのような国・組織・企業なのか?」→「次々と新型のスパコンを迅速に開発出来るところ」なのであり、計画から現物が出来上がるまでに何年もかかるようなスパコンは、「世界一を目指す」のなら、その点で問題が大有り(出来上がる頃には世界のスパコンのトレンドそのものが変っているリスクが有る)で、早い話が「研究開発を行なう上での基礎体力」のようなものが無い国・組織・企業が「世界一」のスパコンを作ろうとしても「束の間の一位」「世界一にはなれても次に繋がらない単なる自己満足」で終る可能性が高いのである(地球シミュレータを作った時の日本であれば、まだ「次の時代のスパコンの新しいトレンドを生み出すゲーム・チェンジャーに成れる」ような「基礎体力」は有ったが、後に「京」と呼ばれるこのスパコンは結果的にではあるが安全牌を選択した事で「他の誰かが作ったルールやトレンドの枠内での世界一」となってしまった)。
そんな中で2009年5月13日、開発費負担が過大であるとしてNECと日立製作所の2社が同時に事業からの撤退を発表し、開発現場は大混乱に陥っていた。(なお、日立製作所は、あくまでNEC担当部分のサポートなので、NECが撤退した場合には自動的に日立製作所も撤退となる)
そんな状況なのでこのまま事業を続けたとしても、米中との開発競争に負ける可能性が高くなってきたのである。
そんな中で行われた事業仕分けの議論において、蓮舫氏は一貫して「2位になった場合、この計画の意義は無くなるのか。2位になった場合の、税金の使い途としてのリスクヘッジはどうなるのか」と言った主張をしている。
しかし文科省、理研は共に2位になった場合の事業の価値を説明せず、ひたすらに「1位になるためにがんばる」といった主張のみを繰り返しているのである。
それに対して蓮舫氏は「だったら、計画を一旦止めて、1位になれる計画に仕切り直すべきじゃないのか。それとも2位でも続ける価値があるのか」と文科省に訊いているがこちらも具体的な答えが文科省から返ってくることは無かった。
すでに予算を超過している上、2社の事業撤退のせいでこのまま開発を進めたとしても世界2位になる公算が高い。その状況下で「2位になった瞬間に事業価値が0になる」となれば監査役としては首を縦に振るわけにはいかないだろう。『米中に負けて2位になったら事業の価値は無くなるのか?』という点を蓮舫氏は文科省と理研に問い質していたのである。しかし蓮舫が台湾ハーフで半分漢民族であるという点がたたって、世論では中国のために行った発言であるという非難が相次ぎ、ナショナリズムを巻き込んで蓮舫サイドが不利になっていった。
この議論の中で出た「2位じゃだめなんですか」発言の少し前に蓮舫氏ははっきりと「 思いはすごくよくわかるし、国民に夢を与えるものを、私たち全員が 否定しているものでは全然ありません。」と発言しており、スパコン事業の必要性自体は否定していない。議事録の中には仕分け人側から文科省への助け舟とも取れる質問がいくつか確認できるのもその証左と言えるだろう。
つまりこの「2位じゃだめなんですか」発言の裏には『こうなってしまっている以上、1位に固執する必要はない。結果として2位になっても事業の価値が無くなるわけではないでしょう。それを説明してください』という意味があったと議事録からは読み解ける。
しかも、実際には「撤退した共同開発先2社は『経営上の理由により撤退』と言っているが、これは民間企業が『この事業は採算が取れない』と見做した場合の常套句では無いのか? 本当の撤退理由が何かを分析したのか?」「共同開発先の民間企業3社の内、2社が既に撤退しているが、残りの1社を撤退させない為に手を打っているのか? もし、最後の一社も事業から撤退した場合には、どうするつもりなのか?」など他の仕分人がより辛辣な評価を下しており(挙句の果てに説明者側が仕分人からの質問に5分前後の回答をするが、その回答が単にこれまでの経緯を長々と説明しただけで、仕分人の質問の趣旨である「では、その上で、これから何をどうするつもりなのか?」に何1つ答えていないという珍場面さえ発生した)、しかも仕分人の中でも理系の大学教授2名が一番ブチ切れるという大惨事まで起きていた。(なお、ブチ切れた2名の内1名はスパコンの専門家。また、もう1人がブチ切れた理由も「理系の研究の中でも基礎研究・理論研究への軽視」と解釈されても仕方ない迂闊な発言を説明者側が行なってしまった為)
つまり、氏のこの発言は、「このままでは1位は取れそうにないし、運良く1位になっても『束の間の1位』で終る可能性が高い。でも、あなた達は『1位が取れないと作る意味が無い』と言ってるので、あなた達の主張を受け入れた場合こそ、逆に予算を認める事が出来なくなる。どうしても作りたいなら1位が取れなくても作る意義が何かを示してくれ」という助け船であり、『(開発意義とそれによって生じる成果さえ示してもらえるのであれば)こちらとしては2位で妥協してもらっても構わない』くらいのニュアンスで発言されたものだと思われる。
とどのつまり文科省と理研には「たとえ結果的に2位になったとしても、世界トップクラスのスパコンは我が国に絶対に必要だし、世界一を目指した開発自体にも意義がある」という考えを仕分け人たちが納得できるように示せるだけの具体的な説明が求められていたのだが、文科省と理研は「世界1位になること」に固執した「中身の無い」発言を繰り返し、「2位になった場合のリスクヘッジを示せなかった」ために事業を凍結されたというわけである。
…とまあ、ここまで書けば「絵空事に胡座をかく癒着に塗れた既得権益を一刀両断する市民感覚に寄り添った政治家」といういかにもな構図に見えるが、事はそう単純ではないのである。
「国税の浪費」として蓮舫氏をはじめとする仕分け人たちから厳しく批判される中、一見でたらめな内容を並べたてながらも文科省と理研が「1位」に固執したのには、スパコン関係者に共通する価値観やコンピュータ業界独特の事情などが絡んでいる面がある。
まず大前提として、スパコンそのものの技術研究や関連技術の開発に携わる人々のみならず、日々研究開発に勤しむ人々が「手掛けているそれが直接何の役に立つのか具体的に示せ」と問われても「わからない」と答えることしかできないケースは少なくないが、ではそれが何の価値も持たないただの「無駄」なのか、と問われれば決してそうとは言い切れない。
「電波」が発見された時、「それが、今後何の役に立つのか」と問われたヘルツは、「たぶん、何もない」と答えた。
現代の電波やそこから発展した電子技術の重要性を考えると、「当時はどう使うのかわからない技術を研究する」事の重要性を顕著に示すエピソードである。
実生活に役立つような研究というものが往々にして「それ自体の活用の仕方が登場当初まるでわからなかったもの」の上に成り立つものであることは、「直接役に立たないもの」として日本で軽視されてきたメッセンジャーRNAについての研究が2020年以降のCOVID-19によるパンデミックにおいてワクチンとして世界的に大いに脚光を浴びた事実からも見えるとおりである。
それはこのスパコン事業とて例外ではなく、このプロジェクトについても「計算科学・計算機科学分野の人材育成」が目的の一つに掲げられ、スパコンそれ自体も単に「TOP500の1位」に留まらず様々な用途に応用できる汎用型計算機として設計・開発されていたが、「具体的に国民生活において何の役に立つのか」という点については実際に運用され誰かに使ってなければ誰にもわからないことであったと言える(実際の成果については後述)。
つまり、「1位になれそうもない中でそれでもスパコンの開発を続けるのならどんな意義がありそれが何をもたらすか具体的に示せ」などと言われても、研究者の感覚からすれば「そんなもの未来人にでも聞いてくれ」としか言いようが無かったのである。
無論、こんな理屈では民主党はおろか自民党でも予算など出せないのは自明の理であり、そうなると「実用性」が未知数である以上、意義を語るのであれば数値上の「1位」に否が応でも拘るよりほかはないのである。
そもそも、地下資源に乏しい我が国が世界に対して優位を示すことが出来る可能性があるのは「技術力」のみであり、その発展を国が援助することは即ち「国民の生活の発展」に寄与する。
言わば「国の本来の役目」なのだ。
これに加え、スパコン関連に限らずコンピュータ事業とは、たった一つの最新最優が市場を独占するという、熾烈な市場競争が茶飯事となっている非常に厳しい環境にある。
判りやすいのはMicrosoft社のWindowsシリーズで、本OSの世界シェアは世界でも他社を引き離して圧倒的な占有率を誇っている。
これはコンピュータ事業の常識と化しており、「いかに(自社の過去の製品を含む)どの企業よりも優秀かつ最新の製品を仕上げられるか」が、コンピュータ事業に携わるすべての企業の目標となっている。
まして電子情報事業が国家の防衛と国際社会での地位に影響を及ぼす現代においては、生半可な「2位」狙いのスパコンを製造しても諸外国から見向きもされないばかりか国内からさえ他国の「世界一」に頼る形で見放され、国庫を食い潰してまで注力した努力がすべて水泡に帰してしまうことになる。
これはつまるところ、競争に名乗りを上げた以上、1位を獲ってこないと採算も何も返ってこないことを意味している。
民間企業が採算が取れないということは、即ちそれ以上の応用・発展も国民生活への活用も見込めなくなることを意味しており、中長期的に見て大赤字になって撤退するしかなくなってしまう。このような事態を防ぐために、アメリカ等は国家が多大な補助をして研究・開発を促している。
このような状況で「2位」を狙う、あるいは開発を中止する、といった選択をすることは諸外国のような農業・工業における大量生産で存在感を示すことが難しい日本にとって数少ない価値の一つである「技術立国」としての看板を下ろすにも等しい選択であり、国際競争に敗れ研究者や技術者が国外へ流出する事態さえ招きかねないのである。
このような事情から、蓮舫氏の発言に対して、科学界の価値観やIT業界の「鉄の掟」、そして「日本が生き延びる方法」を理解していないと批判したうえで、「素人が意見をするな」と辛辣な意見を浴びせる者も少なくない。
「2位ではだめ」なのではなく、「2位ではスパコンの価値そのものを全く説明できなくなってしまう」のだ。
……とはいえ、そのために癒着も使い潰しも黙認し何一つ成果を出せていない状況を漫然と放置するようでは本末転倒でしかない以上、プロジェクトの是非とは別に必要のない予算の無駄は厳しく断罪されなければならないのもまた事実。
それに加え、実際問題として遠からず「2位」になってしまう未来がすでに見えていたのもまた事実なので、そうなった場合のリスクヘッジを重視するのは、一般論で考えるならば当然とも言える。
つまるところ、「業界の常識をどこまで知っているか?」よりも「『市民感覚』に照らしてそれが合理性に基く判断なのか?」を重視して蓮舫氏はじめ仕分け人の側は予算を出す是非を問うていたのだが、仕分け人の側がそこに迷走や癒着といった本来プロジェクトの是非と分けて考えなければいけなかった問題をまぜこぜにして価値判断をしてしまった上に、「後々役に立つかもしれないもの」に価値を見出す開発者側と「今すぐ役に立たないもの」に価値を見出さない仕分け人との間で価値判断の基準がそもそも全くかみ合っていなかった結果、自分たちになじまない「市民感覚」のもと存在意義を問われてしまった開発側がおよそ論理的・合理的とは思えぬ「夢」などといった抽象的な言葉を伴う支離滅裂な主張をしてしまい、その果てに飛び出したのがこの発言だった、というのが実状だったと言える。
こうしてこの発言とともに当該スパコン事業について事実上の予算凍結が決定されたことに対しては、税金の無駄遣いをただすものとして評価する声も見られた一方、程なく江崎玲於奈・利根川進・野依良治といった名だたるノーベル賞受賞経験者が懸念を表明するなど研究者界隈から大きな批判の声が上がり、わずか1か月ほどで決定見直しと予算復活の方針が打ち出されることとなった。
とはいえこの影響を受けてか、文科省は「世界一」に拘っていた当初の方針から軌道修正し、より多くの大学が使用できるよう機能改善を図ることとなったほか、実際に計上された予算も当初要求より40億円ほど削減され、さらに「スパコン事業の意義を国民へ周知すること」という条件が付けられた。
こうして完成した次世代型スーパーコンピュータ「京」は、供用開始直後こそ「世界一」であったものの、完全に組みあがり本格稼働を開始したのは2012年9月であり、その頃には米国の新たなスパコンに相次いで抜かれ3位に後退していた。このため「TOP500」の指標だけで見れば、蓮舫氏の言う通り「束の間の1位」だったということになる。
しかしその一方、コンピュータでの複雑なデータ処理における性能の高さを示す「Graph500」という指標においては2015年7月以降「1位」となり、2019年8月に後継機「富岳」に役割を引き継いでシャットダウンするまで、なんと4年もの間「世界一」の座に君臨し続けた。
ちなみにこの「京」がもたらした成果は、実生活に直接役立つもののごく一部でも下記の通り。
- 地球全体の雲の動きを超高解像度でシミュレートし、台風発生や地球温暖化進行の予測を実施
- 地震の被害想定シミュレータや津波の浸水域予測システムの開発
- 心臓の挙動を分子レベルまで再現するシミュレーション技術を開発。これにより患者の心臓の状態を再現することでより適切な治療を受けることが可能に
- 白血病において発生する白血病細胞の遺伝子異常の解明
- 人間の脳全体のシミュレーションを可能にするプログラムの設計開発
これ以外にも、天文学や物理学における基礎研究や私企業の研究開発などにも使用されており、その社会への貢献度は計り知れない。
さらにはこの「京」をベースにした一般向けのスパコンなんてものまで発売されており、「『京』の子供たち」とも言える端末それぞれが民間企業で薬や工業製品の開発に多大な貢献を見せた。
このように、開発側の迷走や癒着によって高くついてしまったとはいえ、結果的にスパコン事業そのものは国民生活において侮れない貢献をし「無駄などでは全くなかった」ことが明示されたわけだが、その一方で蓮舫氏の発言によってただされた部分もそれなりに存在し、それにより成果が増えた側面もあるため、単なる「迷言」と切って捨てるには少々惜しい言葉であるとも言える。
…まあそれもこれも予算凍結されなかったからこそ言える結果論ではあるのだが。
そんなわけでそれ自体はまったくの誤りとも言えないこの発言だが、それによって招きかけた悪影響が科学界にとって甚大すぎたこと、さらに肝心かなめの事業仕分け全体が民主党政権の単なるパフォーマンスとして失敗扱いされてしまったことで、負の部分が無いではなかったこの言葉は民主党政権における失政の象徴とされ、結果マスコミお得意の切り抜き報道で迷言としての側面がやたら強調されてしまった面があり、民主党政権そのものへの悪感情も相まって発言自体が一人歩きしてしまっていると言っても誤りではない。
一方で、当時のスパコン事業の褒められたものではない状況を理解したうえで議事録を読んだ人からは「(あくまで一般人の感覚に則れば)この発言は正論である」という評価もそれなりにあり、そういった人々の間では再評価の兆しもあるにはある。
こうして事業仕分けをはじめ負の側面が目立ってしまった民主党は下野し、蓮舫は二重国籍問題やクラウド発言と言った多くの問題を起こすのだが、それはまた別のお話。
また、この発言はその後2位に対してネタにする単語にもなってしまったのだが、それもまた別のお話。
そして、2024年7月7日に開催された東京都都知事選挙では出馬していた蓮舫氏が落選したうえに(2位より更に下の)3位という結果になって自分自身にこの言葉が返ってくるかたちになったが、それもまた別のお話である。(ただし、ネタ扱いで笑い飛ばすのならともかく、大真面目に言っているのならば元々の文脈を知って『ブーメラン』呼ばわりする悪質なマッチポンプか、単に実際はそうでないのを知らずに言っているかのどちらかと思われる)