Leica
らいか
主力商品であるレンジファインダー式のカメラで高い評価を獲ている。また映画用の35mmフィルムを使用した写真機を最初に製作、量産したメーカーとして知られている。
現在ではプロに使用される機材の主力は一眼レフに取って代わられたものの、クラシックカメラ愛好家の間では写真愛好家の間では高い品質や使い勝手、画質などといった点で熱狂的支持を集めている。
創業から100年以上の歴史がある。
また、ライカのレンジファインダー式カメラはその知名度や一眼レフとは一味違った外観から各種作品においてキャラクターの写真趣味を表現する小道具として活用されている。
有名なレンジファインダー式のカメラのほかに一眼レフカメラ、レンズ交換式のデジタルカメラ、コンパクトカメラなどもある。
但し、デジタルカメラのうち所謂普及機は技術提携を結ぶパナソニックのOEMである。
2021年6月には自社ブランドとしては初のスマートフォンが発表された。シャープが開発協力と製造を担当したもので、ベースは同社の「AQUOS R6」である。
レンジファインダーカメラ
ごく初期のモデルを除いてレンズ交換式である。大まかに分けてレンズねじ込み式のバルナック型と、バヨネット式のM型に分類できる。
職業写真家の間では、ごく初期のバルナック型からライカM型を通じて1960年代以降に日本製一眼レフにとって代わるまで小型カメラの代名詞として活躍した。但し、その頃は例えば新聞社の写真記者であればメインはシートフィルムを使うプレスカメラといった具合により大型のカメラが主力で、小型カメラを主力とした一部ユーザーを除けばサブカメラという立ち位置だった。
バルナック型
1914年に制作された試作機のウル・ライカに始まる戦前から戦後にかけてのエルンスト・ライツの主力製品のシリーズ。
現在でもフィルムカメラで主力の35mmフィルムの規格はこのシリーズが最初に採用した。
当時、写真機といえば名刺大やはがき大のサイズのフィルムを一枚撮影すること毎に入れ替える、ということが当たり前だったため、手のひらに乗る大きさで大量の写真が撮れるカメラは大変画期的だった。
また、他のドイツ製品の例に漏れず高い品質を誇っていたが、元々の構造が大変単純であったため世界中で模倣品が作られることになった。
最初期のモデルは本体に収納可能な固定式のレンズ、速度変更が可能なシャッター、撮影範囲を知ることができるファインダー、という最低限の装備だったもののモデルチェンジを重ねて、規格化されて広角からレフボックスを用いた超望遠までのラインナップを揃えた交換式レンズ、撮影レンズ連動式のレンジファインダー(距離計)、1/1000秒まで高速化されたシャッターを備えるまでに至った。
その上、一部に制約があるものの、新機構を搭載したモデルが発売された後も既存のモデルをメーカーに持ち込めば改造(例:ピント目測のモデルにレンジファインダーを搭載する。シャッター速度の選択肢を増やす。等)して組み込んでもらうことができた。
アクセサリー類は大変充実しており、システムカメラとしては他に比肩するもの無しという状況だった。エルンスト・ライツはカメラ、レンズの他にアクセサリー類の開発に熱心でユーザーの要望を積極的に商品化するという姿勢があった。一例として、戦前には既に連写用のモータードライブがラインナップされていた。
ライカM型
1954年に発表されたライカM3に始まる現在のライカブランドの主力シリーズ。
前シリーズのバルナック型の欠点を全て改めて、完璧なカメラを目指して開発された。レンズマウントはバルナック型のねじ込み式から差し込んで30度回転させると固定ができるバヨネット式の「Mマウント」に改められた。従来のねじ込み式レンズは、アダプターを使用することでそのまま使用できる。
特に最初のモデルであるライカM3は機械的にたいへん高い完成度を誇っていたものの、他のメーカーはこれに追従しあるいは越えることは不可能と判断し、後に写真業界で主力となる一眼レフの開発に舵を切ったため、メーカーの経営危機の遠因となってしまった。
このシリーズは最初のモデルの登場から既に60年以上が経過したが、現在でも熱狂的なファンが存在し、フィルムカメラのほかにもデジタルカメラの開発も積極的に行われている。
M型には、各国の軍や報道機関といったユーザーごとにカスタムモデルが多く存在し、特殊な仕様のモデルはコレクターの間では特に高値で取引されている。
ちびまる子ちゃんの主人公の親友であるたまちゃんの父親が使用していることで有名。
一眼レフカメラ
1965年に発表されたライカフレックスより始まるシリーズ。
エルンスト・ライツで独自に開発されたライカフレックスシリーズと、日本のカメラメーカーであるミノルタの技術を取り入れたライカRシリーズ、45mm x 30mmの撮像素子を採用した中判デジタル一眼レフのライカSシリーズの三種類がある。
その他光学機器
他の光学機器メーカーと同様に顕微鏡や、測量用の器具なども手掛けている。
ライカの国外法人のうちカナダ法人は、現在アメリカの電子機器・軍需製品メーカーのレイセオン傘下となり、電子機器や軍用銃向けの光学照準器などを生産している。
高級カメラであるライカには数多くのコピー品が存在した。
特に、構造が簡単で当時の小型カメラとしては一級品の性能を誇っていたバルナック型ライカは世界中でコピー品が製造された。製造メーカーの中には後に業界トップとなるキヤノンや、ニコン(但し、シャッター機構のみ)、皮肉にも後に提携先となるミノルタもあった。
多くのコピーモデル登場の背景は、第二次世界大戦でのドイツの敗戦によって一切の特許が無効となったためであった。
終戦から程なくして製造が始められた、日本製コピーの中ではニッコールレンズを備えた「ニッカ」や「レオタックス」が特に出来の良いコピー品として積極的に輸出が成されたという。
キヤノンやニコンの同様のカメラも含めて、戦後のある時期まで「Made in Occupied Japan(占領下の日本製)」という刻印が打たれていた。非常に屈辱的な刻印ではあったが「コストパフォーマンスが良い日本製カメラ」を世界中に広め、当時貴重であった外貨の獲得に貢献したカメラ達である。
(希少価値で)本家を上回ったコピー
コピー品の中には、第二次世界大戦の勃発でドイツからの輸入が途絶えたものを軍事的理由で国産化したアメリカ製のカードンやイギリス製のリードなどは特にコレクターから珍重され本家のものより高値がつくことがあった。
ファインダー周りが非常に複雑かつ精緻な作りのM型ライカをコピーしようとする命知らずは居ないだろう… と思われたが、中華人民共和国で「紅旗」としてコピーされごく少数生産された。稀に市場に出回ると新車の乗用車が買えるくらいの値段になるとか。
互換(?)機
バルナックライカやM型ライカとは本体の設計が全く異なるものの、レンズが流用できる互換機が幾つか存在した。全てフィルムカメラである。
ミノルタの『ミノルタCLE』は、Mマウントのコンパクト機『ライカCL』の後継機となるべく設計されたが、大人の事情でライカのバッジが付くことは叶わなかった。
コニカの『ヘキサーRF』は、ライカのMマウントレンズが使用できる非常に高性能なレンジファインダーカメラであった。何しろシャッター速度は1/4000、絞り優先の自動露出、モータードライブ付きでレンジファインダーカメラである事を除けば当時の一眼レフに迫る性能であった。この機種を最後にコニカはカメラ事業を撤退。日本随一の名門の有終の美を飾ったカメラとなった。
長野県の光学機器メーカーのコシナは、バルナックライカのスクリューマウントや、M型ライカのマウントが使用できるレンジファインダーカメラを製造していた。普及期に位置付けられるフォクトレンダーブランドの『ベッサ(Bessa)』シリーズと、フラッグシップモデルであるカールツァイスブランドの『ツァイス イコン(Zeiss Ikon)』。