国際信号旗にはアルファベット26種、数字10種、代表旗3種、回答旗1種があるが、Z旗は文字通りアルファベット旗のうち「Z」を表す旗である。
文字としての意味の他に、単独で「タグボートを求む」または「投網中(漁船が掲げた場合)」の意味にも使われる。
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当初は「優の闘い」としてシリーズの一部にする予定でしたが、自伝的要素が大きいので独立した作品としました。 自分の受験時代を振り返って南極探検の話を思い出していました。 スコットと白瀬は子供の頃、学研学習漫画シリーズで初めて読みました。 なぜ子供向けの本で、南極点一番乗りを果たしたアムンゼンではなく、スコットと白瀬を取り上げたのかはわかりませんでした。しかし、だいぶ後になってアムンゼンの探検記を読んでなんとなく理解しました。彼の南極点行はあまりに順調で教訓にならないんです! スコットの探検が失敗した原因については研究者の間でもいろいろと議論があるようです。本文で述べた1トンデポの他、主力としていた馬と雪上車が早々に使えなくなったこと、あるいは直前で南極点アタックのメンバーを4人から5人に増員したこと、さらに学術調査を並行して行っていたため負担が重くなっていたこと等々が挙げられています。また、すべてがうまくいったとしても、記録的な異常低温により生還は難しかったという意見もあります。 ですが、私の受験時代を支えたのはまぎれもなく、 ―今日この妥協を、後悔する日が来るような気がしてならない― という言葉でした。 ついつい手を抜きたくなる自分に、この言葉を投げて前へ進んだのを覚えています。 南極点に立った5人のうちエバンズが凍傷により最初に倒れ、オーツ大尉も凍傷にかかりました。足手まといになることを恐れた彼は自らテントを飛び出し、行方不明となっています。 残念ながら、残された3人もすでに凍傷に侵されており、猛吹雪に阻まれて1トンデポの18キロ手前で力尽きてしまいました。 最後に、わが日本の白瀬矗の探検について触れたいと思います。 白瀬隊もまたアムンゼンとスコットがしのぎを削っている1911年から1912年にかけて南極探検を行っています。隊員の士気は高かったものの、天候の急変と装備の不安から帰還を優先し、到達地点(南緯80度)を『大和雪原』と命名して撤収しています。(最近の研究では出発時点で南極点への到達はあきらめていたようですが…。) 成功の秘訣は、十分な装備と訓練それに目標達成の確固たる意志であると思います。 私はそれほど能力が高いわけではなく、運が良かったというのも事実でしょう。 しかし、このときは3つの要件ではだれにも負けなかったと自負しております。 もう一つ好きな言葉を。 ―強いだけでは勝てない 勝利は必死な方がつかむ― 「スマッシュ」より 間違いなく誰よりも必死だった時間でした。8,497文字pixiv小説作品