概要
オーストリア人のレーシングドライバー。
1960年7月4日生まれ。
レーシングメカニックを経て、1983年にレースデビュー。
F3やF3000でキャリアを積み、1990年からは全日本ツーリングカー選手権(グループA)や全日本F3000でも活躍。
日本のモータースポーツファンにはなじみの深い外国人ドライバーの一人だった。
1994年にはシムテック・フォードと契約しF1に上り詰める。
しかし、同年の第3戦サンマリノGP予選にて、走行中にフロントウイングが脱落。
制御を失ったマシンは、減速することなく310km/hもの高速でコーナー外壁に激突し、ラッツェンバーガーは即死した。33歳没。
尚、決勝レースでは当時絶大な人気を誇っていたアイルトン・セナが同じく事故死した為、相対的にその悲劇が埋もれてしまった感は否めないが、活躍の幅が広かったことや、紳士的な人柄から、ラッツェンバーガーの方を哀悼する関係者も多かった。また日本でも長年活躍したことから日本でのファンも多かった。
余談
- 日本では「ラッツェン」「ラッツェンさん」の愛称で呼ばれる事が多かった。
- セナが事故死した際、コメントを求められた星野一義は「自身としては、セナ以上にラッツェンの死がショック」と答えている。理由は全日本F3000でライバルだった為。
- 死亡した1994年のル・マン24時間レースにトヨタのセミワークスチームからエントリーする予定だったが叶わず、代わりに親友だったエディ・アーバインが起用された。マシンは総合2位を獲得したが、アーバインは「ローランドがいれば楽勝だった」とコメントしている。