Ελλάδα(HELLAS・Greek civilization)
古代ギリシャ(ヘラス)
編集中です。
文化など
- 脱毛(釜上の毛剃り機(ストルギス)が古代の墓だった地層からはほぼ出土する、らしい。)
- 天然パーマ(古代のギリシャ人と少年期と青年期の普遍的スタイル、機器がなかったからかもしれないが。)
- スポーツ
- オリンピック(オリンピア祭 )現行のオリンピックの起源、競技での反則防止のために裸体の、青少年の市民階級のみで行われた。)
- 哲学
- 美学(美男や美女に関しては、2000年以上前の人々なのに、現代人のモデルに近い雰囲気を持つことが脅威。(時代が違えば醜美の感覚も驚異的に違う物なのだが、アジアやアフリカなどでは古代は太った男(女)が美しかった。らしい。(『元帥様』みたいな感じ。))
- 裸体(ギリシア人では裸体は神聖なものであった。)
- ナルシシスト(自分の容姿や性器などに異常に自身があり、他人に愛情が向かない性質)
- 行事的な計画戦争(市民階級のスポーツの延長線上にあるような感覚があったようだ)
- 政治学
- 非カースト的社会な市民社会(ある程度流動的な階層社会。しかし奴隷制度であった。)
- 非官僚制(中国のように、『皇帝を頂点とした完了ピラミッド』体制がついにできなかった、かなり後に、カトリック教会の階位制度が社会基盤のひとつになり、中世ヨーロッパの封建制が一応成立できた。)
- 休日
- リアリズム(今日の写真のようなものとは少し違う。)
- 建築(黄金比の発明、それによる神殿の建築など。)
- 彫刻・絵画(エジプト文明と対比して、だいぶ動的・肉体的な物が多い。)
- 少年愛(博愛)(古代ギリシア時代の価値観では最高の愛の形とされた、 結局のところエリート教育で活用した。)
- 少年団(ローマ時代にはユヴェントス、ドイツ語ではユーゲントに当たる組織。ボーイスカウトの原型に当たる。少女団は20世紀にはいってからである。)
- 民主政(政治的にはだいぶカオス)
- ギリシア神話(各都市国家で共通していた伝承の総称。各都市国家で違いがあったと思われるが、今はアテナイなどの神話体系が残った。)
- ローマ帝国の文化政策(振り返ってみればギリシャ世界での最強のエリートぽい人々だが、ギリシア的文化人(民主的な人々)というと疑問がつく。一応ギリシア神話・文化・建築を全面的に模倣、ギリシャ以降の『ギリシャ文化の担い手を自負した』ギリシャ文化だけは征服後も尊重したようなポーズをとった。(実際は元首やローマ人好みに左右された。)
- キリスト教(ユダヤ教の系譜になる宗教でまったく異なるが、最終的にギリシア世界=ローマ帝国の地中海世界での統一的宗教として生き残った宗教である。キリスト教の儀式様式はそれまでのギリシア神話や政治風土の儀式様式が吸収され、キリスト教式に改まっていった。)
追記
- 古代の人物画を見ると髪の毛の色が黒かったり、色白ではないので、ヨーロッパ人的ではないのかもしれない。(ローマ人にも言えることだが)
古代ギリシャについてⅠ〈メンタリティ〉
古代ギリシャについてⅡ
- 奴隷は日本で言う年季奉公みたいなものが大半であったらしく、税金をかけられることもなければ兵役もなく、かつ買い取る時や雇う時のお金が高額なので傷など無いよう、大事に扱われた。そのため、奴隷階級は街中を自由に歩いていたし、お金をためて自分を買い戻して自由人にもなれたと言う。イソップもその一人。
- 逆にその『勝ち組』の『ギリシャ市民』も戦争に負けると一挙に『負け組奴隷』となり、連行の憂き目を見た。だが、ローマのように剣闘士にされたり、或いは料理人、芸人、遊女など特技、武芸を生かす仕事を求められ、優遇されたケースも少なくない。芸は身を助くのであるとか
古代ギリシャについてⅢ〈『※ただしイケメンに限る』的価値観
- 古代ギリシャ人は実質布一枚(上流層でも宝石・装飾)だけをつけて生活をしていた。
- 裸マントも普通の時代だった)布一枚すらも纏わず裸であった。
- ふんどしや腰巻はあったらしいが…半裸の上に鎧を着るから、ビキニアーマー風の二次創作イラストでギリシャの女戦士が描かれる事もある。(馬鹿は風邪ひかない)布が貴重なのもあるが、
肉体に自信があるならば…と言う、汗臭~い価値観からでもある。ウホッ。
古代ギリシャについてⅣ〈ギリシャの都市国家など(ポリス)〉
アテネ(アテーナイ)〈後代ヨーロッパの規範文明とみなされる〉
- 民主主義 (民衆政治また民主制)-多神教で有名なパルテノン神殿などを最盛期には建てる。
テーベ
- 男のカップル同士が組んで戦う「神聖隊」があった。恋人にいいところを見せようと必死で戦ったという。〈当時では普通〉
※映画「300」は、コミックを原作とした作品であり史実とはかけ離れている部分が多い。
その後のギリシア地方
その後のギリシャ地方はコンスタンティヌス1世の時代からギリシャ的文化・生活習慣の見直しが進み、キリスト教にのっとった習慣が定着を始める。テオドシウス1世が完全にキリスト教がローマの国教とした。その後、東方ローマ帝国領でも引き続き帝国構成領だった。1453年にオスマン・トルコがコンスタンティノポリスを占領し東方ローマ帝国が壊滅すると、イスラム文明の植民地的扱いとなった。キリスト教徒はイスラム教に改宗されたりしながらも、一定の自治は認められてた。その後オスマン帝国が滅び、二度の世界大戦での混乱を得て現在のギリシャ地方は民主主義とキリスト教(正教会)国家の共和国となった。