ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
靖国神社の編集履歴2015/01/20 15:42:42 版
編集者:大東博士
編集内容:靖国参拝と学問。

靖国神社

やすくにじんじゃ

東京都にある神社。明治2年に「招魂社」として創祀され、明治12年に靖国神社と改称された。

概要

社号の正字体は「靖國神社」。東京都千代田区の九段下にある、明治時代に創祀された神社。

「靖国」という社号は明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という意味。

神社の境内には戦没者の遺品が展示された遊就館を始め、日本近代軍事史にまつわる文献を多数収蔵する靖国偕行文庫、東京裁判に出席したラダ・ビノード・パール判事の顕彰碑、靖国刀と呼ばれた軍刀の製造所を戦後に茶室に改修した行雲亭、春の例大祭に全力士が奉納相撲を行う相撲場、戦争で犠牲になった軍馬軍用犬伝書鳩のための慰霊碑など様々な施設が存在する。

桜の名所としても高名であり、春になれば「靖国の桜」目当ての花見客も参拝ついでに多く訪れる。

ちなみに気象庁は境内にある三本のソメイヨシノを、東京都での桜の開花日を決定する『標準木』として指定しているため、これが開花すると東京都下の桜の開花宣言が行われることになる。

解説

かつては内務省大日本帝国陸軍大日本帝国陸軍所管の官幣社であった。特に戦時中においては、当時の軍部から戦意高揚・国威発揚の具として利用され、靖国神社への崇敬が国家への忠誠を計る踏み絵のように用いられたと左翼側から考えられている。

祭神となるのは戊辰戦争以降の戦没者であり、軍人ばかりでなく「国家保衛のために殉じた」とされた神霊が身分・勲功・男女の区別なく祀られ、祭神の数は246万6000柱以上であり、幕末志士も大勢祀られている。ただし、明治維新に貢献した人物であっても、西郷隆盛江藤新平らは政府と対立する形で死亡したため朝敵として祀られていない。

さらに、空襲で亡くなるなどした多くの一般市民がこの神社には祀られていない一方、戦没した軍人・軍属であれば外国人だろうとキリスト教徒だろうと一緒くたに靖国に祀られていたり、昭和47年、第二次世界大戦当時に首相を務めた東条英機、重臣広田弘毅や軍首脳ら「A級戦犯」も法務死であるとして合祀されている。このことについては、遺族の間でも靖国神社の奉祀の方針について反発する者も少なくないが、神道への不自然な一方的対抗心も見受けられる。

注意

神話の神様ではない実在の人物を奉祭している(人神信仰)ため、日本文化神道について詳しくない人からは、新しいタイプの神社であるとも誤解されがちであるが、神武天皇を祀った橿原神宮菅原道真を祀った太宰府天満宮徳川家康を祀った日光東照宮明治天皇を祀った明治神宮など、実在の人物をご祭神とした神社は筆紙に遑がなく、一般人が生前から生神とされた例(濱口梧陵)もあって、靖国神社もまた戦死者を悼むという伝統と相まって、日本古来の文化に深く根差した神社である。

戦時中においては当然のこととして戦意高揚、国威発揚に一役買い、戦後も引き続き戦没者追悼の中心施設としての役割を果たしている。

このことから、大戦終了後に独立を回復してからも、また昭和53年に12人の昭和殉難者(いわゆるA級戦犯)が合祀されてからも、時の首相や閣僚らが参拝したり、供物などを収めたりすることは何の問題もなく続けられてきた。

ところが、それにも関わらず、昭和61年以降になって中国の抗議により、あくまで国内問題であるにもかかわらず、あってはならない外交問題へと変質してしまった。その原因は、中国国内の権力闘争への配慮である。

論争

公職にある者もしくは公共団体が同神社に公式に参拝もしくは玉串料を収めることは憲法第20条、第89条の「政教分離」の規定に抵触するおそれがあるとの批判が一部で出て、平成10年代以降に問題となり、首相による参拝が政教分離に反し、しかも信教の自由をも侵害したとする訴訟が提起された。

しかし、首相の参拝は職務行為として行われたものではなく、原告らに何らかの不利益な取り扱いまたは強制・制止がなされたとも認められない。

また首相による参拝は靖国神社に「戦没者の追悼」という世俗的儀礼的な目的で当然のこととしてなされたのであり、国民も宗派を超えてこれを支持していて特定宗教の援助、助長、促進にもあたらないため、百パーセント合憲である。

もしも首相による靖国神社参拝が違憲であるなら、首相による鎌倉円覚寺参禅も、終戦記念日の戦没者追悼も、違憲になってしまうのでおかしな話である。

靖国参拝と学問

論語』衛霊公第十五に「子曰く、仁に当つては師にも譲らず」とある。よいことを行う場合には、たとい相手が先生であっても誰にも遠慮せず、一歩も譲ってはならない。断固として行うべきである、というのである。

靖国神社は日本の戦没者に対する祭祀の施設であり、祭神は国会で承認されている。国会の議決により、日本には戦犯はいない。戦死者を悼むという伝統に即し、国家としての意思で崇敬感謝の意思を表するには、元総理が反対しようと、衆議院議長が反対しようと、ましてや外国が誹謗中傷しようと、譲らずに参拝するのが学問的に正しい行いに通じるということである。

孟子は「孔子、春秋を作りて乱臣賊子懼る」と書いている。中国では王朝が変わるたびに書いたもの勝ちの歴史が編纂されてきた。東京裁判史観は、近代法では認められない裁判以前に、この隣国の伝統に立っているのである。『論語』子張第十九には「下流にいることを悪む」とあり、伝えられているほどひどいものではなくても、いったん暴虐の定評があると、すべて悪いことは皆自分がやったことになってしまうのである。

こうした中国に対し、田中角栄すら断固認めなかった「侵略だった」という言葉を認めて靖国神社参拝を政争の道具や取引の条件にすることは、「日中平和友好条約」に反し、学問的に許されることではない。『大学』にも「国は利をもって利となさず、義をもって利となす」とあるのである。

『論語』為政第二にも「義を見てせざるは勇なきなり」とあって、目先の経済的利益などどうでもいい、靖国神社での戦没者参拝という義をなすことが、本当の意味での利益となるというのである。日本との関係が悪くなって困るのは中国であり、日本は心配せずに向こうの反応を見ているのが学問的態度というわけである。

左伝』という書物には「国悪を諱むは礼なり」(自国の汚点は言わないのが定めである)と言い、ありもしない事実をこしらえて神社への社会的・習慣的行為に反対するのは、全く話にならないということである。

法学的にも靖国神社参拝に一切の非がないことは、前述の通りである。

現在の靖国神社

現在では、神社本庁に属さない単立神社であり一宗教法人に過ぎないが、主に極左翼的な思想の人物たちやプロ市民の団体からは「現代日本に残る軍国主義の遺物」などと、失礼極まりない見られ方をされており、政治家の「靖国参拝」の是非が政治的駆け引きのネタにされている。

また、ニセ右翼のパフォーマンスの場、不逞軍事マニアコスプレスポットと化しており、中にはナチスのコスプレなどいささか不謹慎なコスプレもみられる。

特に終戦記念日あたりにもなれば通常の参拝客に加えて、プロ市民団体・右翼団体・左翼団体・ニセ右翼・サヨク・宗教団体・ネットパフォーマー・参拝に来る政治家目当てのマスコミその他諸々が入り乱れ、時に乱闘騒ぎが起こることもままある。

さらに近年は神社に放尿放火といった悪質な嫌がらせを行って在日韓国人在日朝鮮人逮捕される事件も発生しており、問題視されている。

参拝の際には敬意とマナーを忘れずに。

外部リンク

関連記事

靖国神社の編集履歴2015/01/20 15:42:42 版
編集者:大東博士
編集内容:靖国参拝と学問。
靖国神社の編集履歴2015/01/20 15:42:42 版