図鑑データ
「白露型駆逐艦九番艦、改白露型の江風だよ。よろしくな!あ、読み方、間違えンなよ。」
改白露型駆逐艦概要、出るぜ!ついてきな!
2015年8月10日開始の2015年夏イベント『反撃!第二次SN作戦』の海域E-2「連合艦隊、ソロモン海へ!」の報酬艦として先行実装された。
同時に実装された海風に比べて、ボスを倒しさえすれば良い事から入手難度は低くなっている。
なお、この日以前に投稿されているものはオリジナル艦娘である。
「江風」は大凡は【川風】と書き、その名の通り“川辺に吹き渡る冷涼な風”のことを指す。
“江”という字は大河、とくに中国などでは長江そのものを意味する言葉でもある。
ンっ、容姿いいじゃン!ありありー!
髪はヘアバンドで抑え、後ろは紅いリボンでおさげ髪にしてある。かなりの長髪のようで、図鑑のグラフィックでも左右に揺れて収まりきっていない。
艤装と服装は海風と共通なのでそちらを参照。ただし、こちらは制服を着崩して前が開いており、お腹とへそちらが眩しいという腹フェチにはたまらない仕様になっている。また長手袋の指先が穴あきになっている点も違う。
ンっ、性格発見だ、始めるぜぇ、砲戦!用意!
男勝りで気が強く、軽薄でサバサバした、砕けた態度をとる。
生意気で好戦的だが午後にはおやつをねだるなど、子供っぽい部分も多い。
料理が出来ないのは当たり前(ただし握り飯は得意)らしく、私生活面では面倒見の良い姉である海風に頼りっきりなところがある。
その事もあってか、海風には強い信頼と多少の尊敬を向けている様子。
良くも悪くもガキ大将気質と言える。
なお、白露型の中でこのような癖の強い性格の艦娘は初めてである。
この性格は、後述の史実における功績を反映したものと考えられる。
史実で度々川内と同じ作戦で行動を共にした影響か、川内に尊敬の念を向けている。
接する時には口調も若干改まったものとなり、川内の弟子か子分のような立場となっている。
20時~23時の時報では川内と共に夜戦に出撃しているらしく、臨場感たっぷりの戦闘音声を聞くことができる。これが提督随伴で出撃しているのか、無線などで随時報告しているのかで提督諸氏の意見は分かれている。
どちらにせよ、戦闘中に時刻を告げるほど彼女が律儀で余裕もあることが分かる。
提督との関係はフランクで、上司・部下というよりは対等な友人・戦友のような扱いをしている。
お触りに関しては艤装を触ることを咎める一方、直後に挑発するような態度を見せるなど、からかって遊んでいる節がある。そのときの声色は妙に色っぽく、あの姉の影響があるのかもしれない。
ちなみに中破時のセリフがちょっとした空耳から「まろーん」(正確には「ンの野郎……!」)に聞こえるともっぱらの評判。
きひひっ、よーし性能だ!野郎ども!突撃だぁ!続けーー!
一般的な白露型。誤差範囲内ではあるが、白露型の特徴については該当記事を参照のこと。
彼女の特徴としては、小口径砲でも高い威力を示す12.7cm連装砲B型改二を初期装備する駆逐艦としてはかなり低めのレベル30で持ってきてくれることだろうか。
秋は良いねぇ
登場から間もない9月7日の更新で、さっそく秋季限定の浴衣グラフィックが実装された。
白練(しろねり)の生地に子持ち縞と花柄をあしらった浴衣を、赤紅色の花文様の帯で締めている。下駄は黒にリボンと同じ葡萄(えび)色の鼻緒で、頭には狐の面を飾っている。右手に大きなリンゴ飴をもち、左手で袋に入った綿あめと夕立っぽい生物のぬいぐるみ(?)を抱え、手首には金魚すくいで獲得したのか琉金が一匹ビニール袋に入って泳いでいる。
角度的な関係なのか、艤装がいつも以上に大きく見える。
中破時には綺麗な脚が見えるのだが、何処に隠し持っていたのかヨーヨー釣りの水風船とたこ焼きが出てくる。
セリフも秋季限定のものが追加されており、どうやら秋の方がすごしやすく美味しいものが多いということで、江風は秋が好きなようである。
ンっ、いいねいいねー!やっぱ関連イラストは捗るねー!
海風とのコンビでのイラストが多い。また川内とのコンビも注目されている。
ン?提督何?関連タグ見るの?ほいほい~
史実
旧日本海軍で「江風」と命名された駆逐艦は以下の3隻が存在している。
1代目は浦風型二番艦としてイギリスのヤーロー社に発注されるも、第一次世界大戦でイギリスが一部のパーツ製造元のドイツと敵対してしまい、入手できなくなった分を除外して完成した。しかし、そのパーツの実装を期待していた日本にとって技術的な価値が下がったため、譲渡を熱望したイタリアに引き渡され、駆逐艦「アウダーチェ(Audace)」として就役した。第二次世界大戦のイタリアの降伏後はドイツが接収して「TA20」と改名し、1944年にイギリスによって撃沈された。情勢によって開発が滞るのはよくある事だが、譲渡する要因になった国に接収され、建造していた国に撃沈されるという、何とも数奇な運命を辿った艦である。
2代目は初代をイタリアに譲渡した際に得た資金を元に建造され、谷風型二番艦となる予定だった。しかし、谷風の就役が遅れたため、江風型と名前を変えてその一番艦になった。日本海軍初のオールギヤード・タービンエンジン搭載艦であったが、初期不良に泣かされいまいち活躍できずに退役。しかし、この艦の不備は後の日本の造船技術に大きな影響を与えたため、そういった面での貢献は非常に大きい。
そして、艦これにも実装されたのが白露型九番艦の3代目。
藤永田造船所で1935年4月25日起工、翌年11月6日進水、さらにその翌年の4月30日に竣工した。
海風と共に第24駆逐隊に編入され、第二艦隊隷下第一水雷戦隊に所属した。
駆逐艦としては歴戦の勇士であり、日中戦争での初陣を皮切りに敵艦2隻撃破・重巡洋艦1隻大破、ガダルカナルへの突入回数は駆逐艦でもダントツの26回という、幸運艦時雨・阿修羅夕立と並ぶ白露型切っての武勲艦であり、「ガダルカナルの切り込み隊長」といえる勇ましい姿を見せた。
特に輸送船団の護衛に就いていた米駆逐艦「ブルー」「ヘルム」「ヘンリー」を、本来共戦するはずだった夕凪の遅参によってたった一隻で相手取り、「ブルー」を撃沈(ないし自沈)に追い込んだのは有名である。
改良型とはいえ、阿修羅の血筋はしっかりと継承していた模様。
なお、歴代艦長にあの吉川潔氏もいる。
しかし19431年8月6日、ベラ湾の戦いにて戦没。
帝国海軍の十八番である夜戦において、米軍のアーレイ・バーク大佐の講じた「レーダーを利用した駆逐艦2隻による連携奇襲戦法」の前に敗れ、陽炎型の萩風と嵐共々撃沈されてしまった。
その余りの沈没の早さから、文字通りの轟沈だったという。
この海戦で江風に乗っていた柳瀬喜雄少佐以下169名が殉職、生き残った艦は時雨だけだった。