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0系の編集履歴

2016-02-14 15:15:20 バージョン

0系

ぜろけい

鉄道車両の形式の一つ。新幹線0系を指す事が多い

鉄道車両の形式の一つ。

pixiv上ではほぼ新幹線0系電車に関するイラストに付与されるタグとなっている。


東海道・山陽新幹線 0系電車

1964年10月1日東海道新幹線開業当初から使用された初代の新幹線電車である。最後の新製車両は1986年落成で実に22年間にわたり合計3,216両が製造されたが、1970年代後半以降は初期の車両の置換に充てられたため、3,216両すべてが一度に揃ったことはなく、廃車の置き換えに同形式の車両を用いた例は、早々に事故で廃車になった車両を置き換えた例(EF63等)を除けば他に例を見ない。また、「0系」の形式称号は東北上越新幹線開業に伴う200系新幹線電車のデビューに伴い、従来の東海道・山陽新幹線用車両との区別のためにつけられたもので、それまでは単に「新幹線電車」と呼ばれていた。

0系車両は、製造年度と一部設備の改良により21次車までの0番台、22次~29次車の1000番台、30~38次車の2000番台と、大きく3種類に分けることができる。3000番台、5000番台、7000番台は改造による派生番台。


また、開業間もないころからしきりに編成内、編成間で車両の組み換えが発生したが、これには理由がある。

当初12両編成で登場したが(厳密には1次車6両に2次車6両を挿入する形を採ったため、開業の時点で編成内の車番が乱れていた)「ひかり」「こだま」の運用分離に始まり、それぞれ4両追加して16両化、さらに「ひかり」編成への食堂車ユニット組み込みなどがあげられる。

さらに最初の12両が老朽化して廃車になった際に、赤字体質が問題となっていた旧国鉄では製造年が若い車両を一緒に廃車にするわけにもいかず、編成内で廃車にする分だけを新車(1000番台)で代替した。その後2000番台が登場する頃になると、廃車対象の車両を他編成の廃車対象外車で置き換える動きも出て(当時こだま編成が削減、更に12両編成に短縮されたこともある)、結果編成内での車両ごとの製造年がまるでバラバラとなってしまい、現場にとっては大迷惑な話となった(組み換え作業も簡単にはいかず、またこれだけ製造年が違う車両を混在すれば故障率も高くなる)。

余談ではあるが、16両全てが新車で揃った編成は、1976年製造のN97~99編成(ひかり編成)だけである。(これらも、各メーカーごとの若番車で組成されているので、1001から番号が並んでいない)


JR移行後は東海、西日本両社の営業政策などにより、数多くのリニューアルや改造工事(と、さらなる編成の組み換え)が行われた。

JR西日本では「ウエストひかり」へのグレードアップを筆頭に、短編成化用に先頭車化改造まで行われるなど、大規模な延命・改装が盛んに行なわれた。新車を大量に導入出来なかった事情はあるものの、これらの工事により2008年に至る長期使用への道筋を造った。

対して、JR東海では「こだま」編成を対象に再度の16両編成化と指定席車への2-2シート導入などが見られたが、100系・300系の大量増備による置き換えが進行して大規模な改装・改造は行われなかった。

そして1995年には「ひかり」編成が消滅する。


1999年7月に東海道新幹線JR東海区間)での運用を終了。以降は山陽新幹線JR西日本)区間のみの運用となるが、「ひかり」の充当もあるなど、2社間ではかなり温度差があった。

東海道新幹線では16連固定でも需要が逼迫していたことと、営業最高速度220km/h(1986年以降)の0系がダイヤ上のネックとなっていた為その淘汰が急がれていた。

一方、山陽新幹線ではJR化後の需給見直しにより、短編成頻発ダイヤに切り替えられていたが、0系が全電動車の為MM'ユニット(2両)単位で長短組成可能であるのに対し、100系は附随車の入るMT編成の為編成長を変更すると動力性能が変わってしまい、これを避けるために一部附随車の電装改造の必要があった。この為JR西日本では、ウエストひかり用に延命工事が施された0系を残したまま大量の100系が廃車されると言う異例の事態が発生した。


「ウエストひかり」としては座席の拡張(横5列配置を4列配置に見直し)などサービスアップにより当初の6・8両編成から最長12両編成まで編成を再度伸ばすなど好評を博した他、子供用サロンをつけた「ファミリーひかり」が運転されるなど、最終増備車の建造から10年以上経った時点でも西日本区間では第一線で活躍を続けた。

しかし老朽化の波には勝てず、2000年3月に700系7000番台「ひかりレールスター」が登場すると新大阪駅発着の「ひかり」運用からは撤収し定期では「こだま」のみの運用となり、またその編成も6両・4両まで短縮されるなど、徐々にその活躍の場は狭まっていった。

2008年11月30日限りで定期列車での運用を終え、同年12月14日のさよなら運転をもって完全に引退した。最後まで活躍したのは2000番台から改造された7000番台であった。


現在、鉄道博物館(埼玉県さいたま市)、リニア・鉄道館(愛知県名古屋市)、交通科学博物館(大阪府大阪市)と本州のJR三社が運営に関与する各博物館において保存展示されているほか、各地に保存車両がある。また、鉄道創業の地であるイギリスのヨーク国立鉄道博物館にJR西日本から2001年に寄贈された車両が保存展示され、台湾の新幹線とも言われる台湾高速鉄道にもレーザー光線を使用した「光学式建築限界測定車」として1両が事業用車として海を渡った。


その他の0系および0形

千葉都市モノレール0形:通称「URBAN FLYER」。

関東鉄道キハ0形

横浜高速鉄道Y000系:こどもの国線の車両。

長野電鉄0系:OSカー。引退済み。


関連イラスト

国鉄0系新幹線電車0(ゼロ)の風景

Sayonara 0-series Shinkansen


関連タグ

東海道新幹線 山陽新幹線

100系 200系 300系 500系 700系 N700系 L0系

ひかり こだま さよなら、夢の超特急

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