概要
この中国の歴史書は古代、概ね伝説の時代とされる三皇五帝が1人黄帝から前漢の武帝時代までを取り上げており、正史二十四史の第1に数えられる。また文章も優れているとされる。
具体的な内容
この書籍には殷( 商 )末周初の動乱、東周の戦国七雄、秦始皇帝による統一と秦帝国の崩壊、楚漢動乱、呉楚七国の乱、武帝の匈奴遠征などの古代中国史初期における代表的イベントの殆どを網羅している。また特徴として儒教が隆盛する以前のものであるため、傀儡とされた皇帝に本紀を立てず、実際の支配者に本紀を立てる、また皇帝のみならず民間の人物や、もろもろのスキャンダルに関しても記述されている。
記述法
記述法としては紀伝体を特徴として代表的な個人や国家に焦点を当て、皇帝や王などの支配者の記述である本紀、諸侯に関する記述である世家、特に国に仕えた官僚の一生や周辺の異民族の風習などを記述した列伝、分野別の歴史である志等に分かれ年表等の補足が附くスタイルをとっている。
そのほか
- 本来この書籍には『太史公書』という名前が付けられていた
- 紀伝体に関しては以降に編纂された中国大陸の中原国家の正史のみならず、東アジアの諸国家の歴史書に多大なる影響を与えたとされる
- 紀伝体とは逆に事柄を時系列的な一つの流れとした記述法を編年体といい、春秋や資治通鑑などに用いられている
- 文章の質に関してであるが、本人に文才があったのかそれとも元とした資料が名文であったのかは現代では不明となっている
- 正史二十四史の次は後漢に班固、班昭らにより編纂された漢書( 前漢書 )、その次が南北朝時代に范曄により編纂された後漢書である
司馬遷
著者あるいは編者とされる司馬遷は中国前漢時代の歴史家である。20代のころには中国各地を旅行している。その後漢王朝に仕え、同じく仕官していた父の跡を継ぎこの書物の編纂を始めるものの、単独行動の末捕虜となった将軍李陵に対し弁護したため牢獄に繋がれ宮刑に処せられる。その後大赦により牢獄から出て6年、本書は完成する。