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C11の編集履歴

2018-05-10 19:18:00 バージョン

C11

しーじゅういち

主に国鉄C11形蒸気機関車のこと。

pixivでは主に二つの意味で使われている。

1.国鉄C11形蒸気機関車

2.C11形国鉄コンテナ


ここでは使用頻度の多い国鉄C11形蒸気機関車について記述する。


概要

国鉄C11形蒸気機関車(こくてつC11がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。

特に決まった愛称はなく、シージュウイチと形式どおりに呼ばれる事が多い。


タンク機と言う事で小型機扱いされがちだがこれは誤り。実際にはC57よりやや小さい程度の中型旅客機に分類される。


誕生までの経緯

1920年代の国鉄では、大恐慌を背景として予算が削減され、大型制式蒸気機関車の新製投入で余剰となった6200形などの鉄道国有化以前に製造された2Bテンダー機関車を改造したタンク機関車を、支線区の運用や都市部の区間運転などに充てていた。


しかし、それらは改造の時点で製造から既に20年前後が経過しており、改造後10年を経ずして老朽化のために休車扱いとなる車両が発生するなど、その状態は思わしくなかった。また種車の形式が種々雑多で構造や交換部品の仕様などが完全には統一されておらず、保守作業の規格化という観点からも望ましくなかった。


さらに、当時建設を計画中の路線群についても建設コストの引き下げが強く求められたため、軌道規格の引き下げなどで従来国鉄が量産していた制式テンダー機関車では入線が難しい路線が出現しつつあった。


そこで制式テンダー機関車ではもっとも小型であったC50形を基本とし、これを改良して国鉄としては1917年の4110形最終増備グループ以来13年ぶりとなる、新設計の制式タンク機関車が作られることとなった。


その先駈けとなったのはC10形蒸気機関車で、これは主として都市部に配置され、短区間の折り返し運転による快速列車運用などで好評を博した。


だが、このC10形は自重が重く、軸重制限の厳しい丙線以下の支線区へ投入するには適さないという問題があった。そこでその設計を見直し、折から実用化が急速に進みつつあった電気溶接技術を積極的に取り入れるなどして新技術を導入することで、動軸重を13t以下に抑えた改良型を製造することとなった。


先行して設計されたC54形で得られた知見も盛り込んだ本形式は、自重を約3t削減し当初の計画通り動軸重を最大12.5tの範囲内に収めてC10形と比較して入線可能線区を大幅に拡大することに成功、その設計で得られた知見はC54形の後継機種となるC55形の設計にフィードバックされて以後の国鉄大型制式機の設計に大きな影響を及ぼしている。


C11でもっとも有名だったのは、佐世保線における寝台特急さくらの牽引であった。牽引区間は末端の早岐~佐世保間の短距離であったが、ヘッドマークを取り付けたこともあった。C11が起用された理由は、佐世保線は早岐駅でいったんスイッチバックする線形で機関車付け替えを省略するためであった。なお、列車の後方にはDD51が連結されていた。


鉄道省以外のC11形

手頃な車体のため、鉄道省以外の私鉄や鉱山鉄道、産業鉄道でも自社発注機として採用されていて、内地以外でも朝鮮や樺太の鉄道でも採用された。採用したのは日本炭鉱高松鉱業所(福岡県)【こちらの車両は除煙板が無かった】、松尾鉱業(岩手県)、宇部油化工業(山口県)、東武鉄道【元々は奥多摩電気鉄道が発注】、雄別炭礦尺別専用鉄道(北海道)、江若鉄道(滋賀県)、三井芦別鉄道(北海道)、同和鉱業片上鉄道(岡山県)、京南鉄道(朝鮮)、樺太人造石油(樺太)、内淵人造石油(樺太)であった。さらに三岐鉄道・羽幌炭礦鉄道・釧路開発埠頭・三菱鉱業大夕張鉄道・三井鉱山砂川鉱業所奈井江専用鉄道でも活躍した。


他にも宇部鉄道(現・JR宇部線)向けに1両、樺太庁鉄道向けに1両製造されたが、戦時買収や樺太の内地編入により直接鉄道省に編入された。


国鉄からの払い下げは国鉄でも重宝された関係上少なく、雄別鉄道へ3両(3号機・65号機・127号機)、ラサ工業宮古工場専用鉄道【大井川鐵道で活躍しているC10形8号機が活躍していた】へ1両(247号機)、三井鉱山砂川鉱業所奈井江専用鉄道に1両(226号機)の合計5両に過ぎない。


保存機

動態保存機

小型で運転線区を選ばず扱いやすいことや、比較的に維持費が安く済むことから、2012年現在、日本の動態保存中の蒸気機関車としては最多の5両が各地で保存運転を行なっている。


大井川鉄道

大井川鐵道では、SLの動態保存を日本で一番早く開始し、国鉄時代に始まった「SLやまぐち号」よりもその歴史は古い。 2両のC11形 (190号機と227号機) が動態保存されており、いずれも「SL急行(かわね路号)」として、大井川本線金谷駅 - 千頭駅を1往復している。2007年2月現在で状態が良好なのは、2003年平成15年)に大井川鐵道で一番新しく復活させた190号機、次いで1976年昭和51年)からずっと走ってきているパイオニアの227号機である。


上記2両の他、現役時代会津若松で運用されていた312号機は、展示されていた三重県のドライブインあら竹より譲り受け、1988年から動態保存機として使用されてきたが、台枠関係の老朽化が激しく、動輪の軸焼けを起こすことが多かったことから、2007年(平成19年)9月8日のさよなら運転をもって運用を終了した。現在は部品取り車となっており、既にいくつもの部品を外された状態で新金谷駅の側線に留置されている。この312号機のボイラーは227号機に、ATSはC56 44に移設されている。なお、227号機はボイラー移設の際、汽笛もそのまま譲り受けている。そのため現在227号機は312号機の汽笛を使用して運転されている。


190号機は現役時代、熊本でお召し列車を牽引した栄誉ある経歴があったため、復活当初はお召し仕様であったが、2007年の検査で通常の仕様に戻されている(2007年の検査ではナンバープレートのみお召し仕様(緑地に金文字)で残していたが、2008年7月の復活5周年記念ヘッドマーク取り付け時より通常のナンバープレート(黒地に金文字)に変更された。2009年春の定期検査後、再びナンバープレート及び連結棒が緑に戻された。また、2008年の「ナイトトレイン」以降から先述の2009年の検査までの間にはヘッドライト横にシールドビームの副灯が追加されている。2009年9月9日には、鉄道部品店ジャパレが主催とする団体列車「銀河超特急999号」の牽引機として充当された当日は、TVアニメ版銀河鉄道999の999号を模した装飾を施して運転されている。


2014年からきかんしゃトーマス号として999号トーマスを模した装飾を施して運転されている。


JR北海道・東武鉄道

北海道旅客鉄道(JR北海道)では、171号機と207号機が動態保存されている。


1995年(平成7年)惜しまれながら廃止となった「C62ニセコ号」から4年を経た1999年(平成11年)に、「SLすずらん号」として171号機が動態復元されることとなった。


171号機は1940年(昭和15年)川崎車両にて製造。1942年(昭和17年)から廃車まで、一貫して北海道内で使用された。廃車後、標茶町の桜町児童公園にて静態保存されていたが、JR北海道からの要請で苗穂工場にて動態復元がなされた。「SLすずらん号」としての運転開始を皮切りに、「SL函館大沼号」「SLふらの・びえい号」、「SL冬の湿原号」など道内のSL列車に用いられている。


207号機は1941年(昭和16年)日立製作所笠戸工場にて製造。171号機と同じく、一生を北海道で過ごした機関車である。濃霧の多い線区で使用されたため、前灯が除煙板のステー上に2個装備されている、「カニ目」、「」と呼ばれる非常に独特な外見となっている。207号機は2000年(平成12年)に動態復元されたが、復活1年目は車軸の異常な発熱により(SLニセコ号運転初日には本機が充当される予定だったが、当日は故障したため、代わりに171号機が担当した)、まともに走ることができず、翌年になって本領を発揮。「SLニセコ号」を中心に、「SL冬の湿原号」などにも使用され、時折171号機と重連運転も実施している。


C11 207号機は2017年(平成29年)の東武鉄道のSL列車運行開始にそなえて、東武鉄道へ貸し出された。


真岡鉄道

325号機が真岡鐵道で動態保存されている。


本機は1946年(昭和21年)3月28日に日本車輌熱田工場にて落成。1943年から1947年にかけて、合計135両と最も多く製造された4次形の1両として製造された。本機が製造された時期は、日本にとって苦難の時代であった。戦争のため物資の不足や徴兵による熟練工の不足、空襲による生産設備破壊など過酷な環境下で生産が行われた。このため、木製除煙板や角形(かまぼこ形)の蒸気ドーム・砂箱など「戦時設計」「戦時工程」による大幅な簡素化が図られた。C11 325も、戦時設計による角型のドームを有していた。


本機はまず茅ヶ崎機関区に配属され、相模線南武線、入換などに用いられた。21年後の1967年(昭和42年)3月、米沢機関区へ転出し、米坂線左沢線で使用された。1972年(昭和47年)、左沢線でSL運転が終了されるにあたり、本機が「SLさよなら列車」を牽引し、その後廃車とされた。翌1973年(昭和48年)、新潟県水原町(現・阿賀野市)水原中学校に無償譲渡、静態保存されることとなった。


1996年(平成8年)、C12 66により「SLもおか」を運転していた真岡鐵道が、予備機として使用するため、3月27日に水原中学校から真岡鐵道真岡駅前に移設された。翌1997年(平成9年)11月より、JR東日本大宮工場(現・大宮総合車両センター)にて動態復元工事が行われた。この復元工事にあたり、元の設計の1次形にならい、戦時設計だった角(かまぼこ)型ドームを通常の丸型ドームに付け替え、C12同様牽引客車が自動ドアを使う50系であるためMR管の引き通しを端梁向かって左の、外観上目立ちにくい箇所に取り付けた。翌1998年(平成10年)9月に動態復活を果たし、10月に真岡鐵道に引き渡された。同月9日より試運転が行われ、この時「SLもおか」を牽引していた C12 66との重連での試運転が幾度か行われた。11月1日、全国の第三セクター鉄道による「ふるさとレールフェスタ」に併せて、C12 66を従えて初の営業運転に投入された。


その後は、ホームグラウンドである真岡鐵道での「SLもおか」のC12 66の予備機、及び重連運転用としての使用のほか、2001年(平成13年)にはJR東日本へ貸し出され、出張運転も実現した。以来、年数回貸し出し運転が行われている。この運転の際に使用される客車は高崎車両センターの旧型客車である。


静態保存

国鉄を代表する蒸気機関車の一つであるC11形は廃車後、全国各地で静態保存された。このうちトップナンバーの1号機は青梅鉄道公園に、64号機は梅小路蒸気機関車館に保存されている。


また、ニュース番組などで「新橋のSL広場前から…」と言うことがあるが、その新橋駅SL広場にあるのはC11 292である。


関連タグ

鉄道 国鉄 蒸気機関車 C10 C12

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