もしかして
→M1号
→前田敦子
→ドブス
概要
漫才コンビダウンタウンの切れ味鋭いツッコミ(ドツキ)担当。
1963年5月11日生まれA型。大阪市浪速区出身だが、幼い頃に兵庫県芦屋市、尼崎市に移り、尼崎で育った。
本名は「濱田雅功」(浜の時が旧字体)であり、近年は俳優として活動する際にこちらを使っていることがある。
超スパルタ高校で知られる※日生学園第二高校の卒業生であり、副寮長を務めていた。
この頃の地獄のような経験が現在の図太さを構成するに至っている。
※現在は校名も変わっており、往年の無茶苦茶なスパルタ教育はなくなっている。
小学校の先輩に徳永英明、高校の後輩には今田耕司(中退)とSOPHIAの赤松芳朋がいる。
1982年、小学生の時に出会った友人の松本人志とダウンタウンを結成。それからのべ30年以上にわたってお笑いの世界に君臨している。
彼にドツかれた芸能人は売れるというジンクスがある。
画力については浜田画伯という異名を持つほど壊滅的で最早この世にないナニカを生み出す錬金術の領域。
芸人の他にも俳優や声優、歌手など多くの副業を持つ。歌手活動については後述。
好きなスポーツはゴルフや野球。ゴルフに関しては自身がプロデュースしたゴルフウェアやビデオなども出している。スポーツバラエティ番組「ジャンクSPORTS」でもダウンタウンではなく単独で司会業をやっていた。
ドSキャラがよく知られているが、ボケた面もある。
相方によると頭を叩いてもいい人は限られているらしいが、実際はそこまでではないとのこと。
礼儀正しい、いい人とも語られており、
「志村けんと仕事する際に浜田の方から挨拶しに行っている」
「若手や後輩に優しい言葉をかけている(ロバート馬場曰く「優しい浜田さん」)」
「ハマ・オカモトがベース、浜田がボーカルの曲をレコーディングすることになり、スタジオ入りの時ハマが浜田に『うぃっすー』と挨拶したところ浜田がガチギレした」
という話もある。
妻はタレントの小川菜摘、長男はOKAMOTO'Sベーシストのハマ・オカモト。妻によると子煩悩かつ教育熱心なところがあるという。
プライベートでは息子達には関西弁を染み付かせないように標準語で接していたらしい。また、かなりのスパルタだったらしくその様子は「浜田刑務所」と弄られていた。
後輩芸人から「息子さんが芸人になりたいと言ってきたらどうするのですか?」の質問に「絶対に芸人にはさせない」と持論を呈した事もある。また、ハマが「音楽で食べていきたい」と言った際も厳しい言葉をかけた、と浜田がハマのラジオ番組にゲスト出演した際にハマが語っている。
歌手として
芸人以外にもマルチな活動を行っているのは上記の通りだが、その中でも特に歌手活動に関しては番組の企画で小室哲哉と組んだユニットH_Jungle_with_tの「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」がダブルミリオンを超えるビッグヒットを記録した事でも知られる。言うまでもなくこれは芸人が出したシングルでは歴代1位の記録(ちなみに2位はとんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」。ただし芸人がメインではなくサイドボーカルで歌っているものもカウントするならブラックビスケッツの「タイミング-Timing-」になる)。
何気に歌手活動する際のユニット含む名義も芸能界デビューから今に渡るまでダウンタウン(1988~1991)、GEISHA GIRLS(1994~1996)、H Jungle with t(1995~1996)、エキセントリック少年ボウイオールスターズ(1997)、浜田雅功(1997、1999)、日影の忍者勝彦オールスターズ(1998)、Re:Japan(2001~2002)、浜田雅功と槇原敬之(2004)、底ぬけプレジデンツ(2010)と相当なバリエーションがある。またそのプロデューサーも上述した小室に加え佐久間正英、坂本龍一、奥田民生、槇原敬之とかなり豪華だったり。
そして2015年には52歳にしてアイドル浜田ばみゅばみゅ(本家と同じく中田ヤスタカプロデュース)というまた一つ新たなアーティストの肩書きを手に入れた。
関連タグ
シュレック・・・吹き替えで主演
ヤドキング・・・劇場版ポケモン「ルギア爆誕」で活躍。困ったなぁ。顔が似ている。
M1号・・・ガキ使でネタにされた。顔が似ている。
前田敦子・・・顔が似ている。
紅白歌合戦・・・音楽ユニット『H_Jungle_with_t』『Re:Japan』で一回ずつ出場。