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マスタングの編集履歴

2019-03-07 23:00:10 バージョン

マスタング

ますたんぐ

マスタングは、フォード・モーターにより1964年に発表された中型車。

マスタングもしくはムスタング(mustang)はプレーリー地帯(北米大陸中央部に位置する草原地帯)に持ち込まれた小型馬が野生化したものを指す。スペイン語mestengoに由来し、この語は本来「迷子になった、あるいは主人のいない家畜」を意味する。それより、複数の意味が存在する(実はこの馬の意味で使用された例はほとんどない)。

水兵から昇進した叩き上げの士官アメリカ海軍でのあだ名

第二次世界大戦にて活躍したレシプロ戦闘機に関しては⇒P-51

鋼の錬金術師登場人物ロイ・マスタング

フォード・モーターが製造販売する乗用車。この項目で解説。

フォード・ムスタング

 この車種は2ドアのクーペであり、スポーツカーであり、おおむね4から5人乗りの中型車である。分類としてはポニーカーおよびマッスルカー(類似の車種としてはチャレンジャーカマロなど)とされる。

歴史

開発開始当時、フォードの副社長であったリー・アイアコッカの指導下で、第二次世界大戦以降に出生した「ベビーブーマー」世代向けの中型車として開発が開始された。

 そして1964年4月17日から開催されたニューヨーク万国博覧会の初日に発表され、マスタングと名付けられた(この名前に決定するまではトリノだのクーガーだのになりそうだった)。

 この車両にはおおまかに分けて7世代のモデルが存在するとされるが、文献などによっては1964年~1973年までのモデルを初代とする場合(英語版Wikipediaなど)と、1971年~1973年までを3代目とする場合(日本語版Wikipediaなど)もあるので「X代目」という表記には注意する必要がある。

初代(1964年-1968年)

 この車のベースは、1959年に発売されたフォード車初の小型車で、大ヒットモデルとなっていたフォード・ファルコンである。この車はスポーティカーとして、1964年にコンバーチブル及びハードトップ(通常の屋根あり車)のラインナップで登場した。

「フルチョイスシステム」と呼ばれる、オートマチック・トランスミッションビニールレザーシートホワイトリボンタイヤ(横の部分を白く塗った、あるいは白いゴムを使用したタイヤ)など多彩なオプションの選択肢を用意したことで、幅広い年齢、収入層に受け入れられることとなり、バランスのいいスタイリングや巧みなマーケティングで発売当初から高い売れ行きを記録し、アメリカの自動車史に残る大ベストセラーとなった。

 1965年にはファストバック(クーペ)が追加。トップモデルは「GT」。

2代目(1969年-1973年)

 初代に比べ大型化され、価格も全体的に高くなって登場した。「ファストバック」の名称を「スポーツルーフ」に変更。レース用ホモロゲーションモデル(一般生産車の改造等を申請し、レースに出場できるような承認を得たモデル)である「BOSS」をシリーズ追加。1969年にさらにパワーアップした「Mach1」を追加。「BOSS」シリーズには、1969年と1970年モデルにBOSS302とBOSS429の2タイプがあり、特に前者は「トランザムシリーズ」のホモロゲーションモデルであった。「BOSS429」はやたら大きいHEMIエンジン(クライスラーを代表するエンジンのひとつで、V字形の給排気バルブ配置とセンタープラグの半球型燃焼室を持ったクロスフローOHV方式のハイパフォーマンスエンジン)が搭載されており、カタログスペック上は375馬力であるが実際には600馬力近くあったと言われている。1971年には「BOSS351」の1種類のみになっている。

また「Mach1」は、1969年と1970年モデルでは428cu.in.CJ(「コブラジェット」)だが1971年モデルでは歴代最大の429cu.in.CJ(「コブラジェット」)を搭載、オプションでS-CJ(「スーパーコブラジェット」)ラムエアを搭載していたが、1年のみで429は姿を消し、1972年より351cu.in.のみになった

 当初はそれなりの販売台数であったものの、大型化およびハイパワー化したために、1970年代初頭のオイルショック(1973年と1979年に始まった原油の供給逼迫および石油価格高騰による世界の経済混乱、石油危機などともいわれる)によるアメリカの消費者の小型化、低燃費指向への対応ができず最終的に販売が低迷してしまった。

3代目(1974年-1978年)

 フルモデルチェンジにより「マスタングII」が正式名称となる。デザインはフォード傘下のデザインスタジオであるイタリアのギアが担当した。また上記のようにオイルショックによる低燃費、小型化志向を受けてボディサイズも大幅に縮小され、当初はV8エンジン(V型8気筒のエンジン、アメ車御用達)搭載車の設定もなかった。1977年にTバールーフ(オープンカーの一種、車のトップに芯のような構造物がある)が追加された。

 また、スポーツモデルとして1976年に「コブラII」が、1978年に「キングコブラ」が追加されたものの、実はエンジンはパワーアップした訳ではなかったが、「キングコブラ」は、ボンネットに巨大なコブライラストが描かれボディ全体にピンストライプが入るなど、派手な外観をしたものであった。

4代目(1979年-1993年)

 ここまでこの車種の開発にかかわっていたリー・アイアコッカであるが、フォード・モーター社長になったものの創業2代目かつ社主であるヘンリー・フォード2世と対立し、退社したため、彼の開発主導による最後のマスタングとなった。

 オイルショック以降続いていた小型化および低燃費指向を受けて全長4メートル半程度と3代目に続き小型化は継続され、FOXプラットフォーム(フォードが1978年から採用した前部エンジン後輪駆動の形式、マーキュリー・クーガーマーキュリー・カプリにも用いられた)を採用した。またフォード車初となるターボエンジン(2.3リッター直噴4気筒SOHC)が搭載された。

しかし1980年代初頭の好景気を背景に再びハイパワー指向が復活してきたことから、1984年にハイパフォーマンスモデル「SVO」が追加されている。他にも3代目には設定されていなかったコンバーチブルモデル(すなわちほろ付きのオープンカー)が復活した。

 この車種は1980年代後半にモデルチェンジ予定とされたものの、その頃売り上げが再上昇した上に、1988年に登場したフォード・プローブ(mazdaカペラをベースとしたスポーツカー)が、本来マスタングとして開発されていた車だったにもかかわらず(実はV8エンジンを積めないことが分かったことと、前輪駆動という全くの別物になったため)別のモデルとして発売されるなど、マイナーチェンジを重ねつつ1993年まで生産されることになる。

5代目(1993年~2005年)

 プラットフォームはFOXプラットフォームを改良して使用することになり、制動、運転性能、衝突や横転などへの安全性能にも大きな配慮がなされた点が初代から4代目までとの最大の違いである。スピン防止のため変速機はオートマチックとされた。コンバーチブルの地上高は若干剛性を高めたため低い。しかしデザインの細部に初代を意識した箇所が見受けられる。エンジンは3.8リッターV6OHVと5.0リッターV8OHV。

 1996年モデルより5.0リッターV8OHVエンジンを4.6リッターV8SOHC24バルブエンジンに変更した。

 1997年にはSVT製作の4.6リッターV8DOHC32バルブエンジン搭載の「コブラ」が追加された。この車種は通常車種とは異なり、マニュアル車。

 1999年には大幅な外装デザイン変更が施され、さらに初代のデザインイメージを反映させたスタイリングとなっている。

6代目(2005年~)

 2004年の北米国際オートショーに新開発のDC2プラットフォーム(マスタング用に作られたプラットフォーム)をベースにコードネーム「S-197」として登場。フォードのリビングレジェンド戦略(昔から製造されていた車に初代を意識させる外装や内装を施す戦術)に基づき初代を意識したデザインを採用した。ベースモデルのエンジンは先代の3.8L OHVから4.0L V6 SOHCに変更され、GTにはアルミニウムブロックの4.6L SOHC V8 (24V)・VCT付が搭載された。ギアボックスはTremec T-5 5段マニュアルが標準で、オプションで5R55S 5段オートマティックが用意された。なおGTのマニュアル車には強化型であるTremec TR-3650 5段マニュアルが搭載された。

 5代目の発売後にマスコミから問題とされた衝突安全性への不備は改善された。

 この車種はアメリカ国内ではドリフト仕様としての評価が高く、フォーミュラDにはフォードワークス製を含む数台のマスタングがエントリーしている。

2009年春から「2010年モデル」として内外装を変更したモデルに変更された。ヘッドランプはターンシグナル内蔵式となり、 テールランプも3連式を継承しつつも新デザインとしLED化された。またルーフパネルに小変更を加え、V6モデルで4%、GTで7%の空気抵抗低減を図っている。

7代目(2015-)

 2014年よりモデルチェンジ、外装自体は変化しないものの、サイズを大きくして車高を下げたものとなった。

日本への輸入

 1994年には日本でもフォード・ジャパン・リミテッドにより輸入が開始され、廉価版グレードはトヨタセリカ日産シルビアなみの200万円台前半という車両価格で投入されたことが話題になった。また、東京で夏の渋滞時にエアコンテストを行うなど、日本市場を大きく意識していた。

 また2014年現在フォードジャパンが「V6クーペ」「V8クーペ」「V8コンバーチブル」の正規輸入を行っており、2012年には30台限定だが「V6パフォーマンスパッケージ」の導入も行った。日本向けはパイオニア製のカーナビやETCなどを選択できるなど国内の環境に合わせてあるが、MTが選択できなかったり車体色が少ない(北米向けは9種類だが、日本向けは4種類)他、BOSS 302やシェルビーGT500などは導入されていない。

そのほか

1960年代にシェルビーがこの車をもとにしたカスタムが存在する。なお、2005年には2007 シェルビー GT500が発表された。

1967年モデルは映画ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFTに緑色に白のストライプバイナルで登場。1968年モデルは映画ブリットに登場している。マスタングのシンボルマークが車体の左右にもつけられていた(なお2001年この仕様が北米で限定発売された。これは劇中で使用された外装をヒントにして作られたもの)。

。かつて栃木県警察に「Mach1」1973年モデルのパトカーが高速取締用車両として寄贈の形で導入された。現在鹿沼市の免許センターに展示されている。

映画では下記にもあるとおり、1971年モデルが『007 ダイヤモンドは永遠に』のボンドカーに採用され、1973年モデルが『バニシングin60″』で主役の "ELEANOR(エレノア"として約40分間の迫力あるカーチェイスシーンを見せてくれる。

2007年には光岡自動車が6代目のコンバーチブルをベースにガリューコンバーチブルを製造している。

参照

wikipediaフォード・マスタング

pixivのタグとして

大多数がロイ・マスタングである。そのほかP-51も存在する。

関連項目

自動車 アメ車 スポーツカー フォード・モーター シェルビー

P-51 ボーイング

フェラーリ:馬のエンブレムのせいでこちらと間違われ易い

参照

wikipedia同項目

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