※下記以外の用例についてはベガを参照。
概要
※馬齢は数え表記
主戦騎手は武豊。同期はビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケット、ホクトベガなど
デビュー前
社台ファーム早来(北海道早来町、現ノーザンファーム)生まれ。馬主は社台グループ・吉田善哉の妻・吉田和子。松田博資厩舎所属。
顔に特徴的な白斑があり、これが馬名「ベガ(琴座α星、織女星)」の由来となっている。
現役生活
牝馬クラシック二冠
母アンティックヴァリューに似た脚部内向で足元に不安を抱えていたため、あまり調教を積めずにデビューが遅れ、1993年1月9日に京都競馬場の新馬戦でデビュー。調教も殆どできず鞍上は若手の橋本美純という状態で2着。
鞍上を武豊に変更して1月24日、2戦目の新馬戦で初勝利。その勝ちっぷりから期待が高まり、3戦目の桜花賞トライアル・チューリップ賞では1勝馬にも関わらず阪神牝馬3歳ステークス(現ジュベナイルフィリーズ)の勝ち馬スエヒロジョウオーを差し置いて1番人気におされ、圧勝。本番の桜花賞でも最後の直線をクビ差で制し、単勝2.0倍の一番人気に応えてクラシック一冠目を制した。
次走の優駿牝馬(オークス)では初めての長距離移送で体調を崩したり、桜花賞で上がりタイムが良くなかったことから、一番人気ながらも単勝3.4倍と人気を落とす。しかし終わってみれば二着に1と3/4馬身突き放す完勝で、マックスビューティ以来の牝馬二冠を達成する。
第18回エリザベス女王杯
メジロラモーヌ以来2頭目の牝馬三冠への期待が高まったが、オークス後に歩様がおかしくなったり、釘傷を負ったりとケガが続き、秋はトライアルのローズステークスを回避。当時牝馬クラシック最終戦だったエリザベス女王杯にぶっつけで挑む。当日の一番人気はトライアルのローズステークスを制したスターバレリーナに譲り、2番人気。
ベガはスタート直後に他馬と接触するアクシデントもあって道中は10番手あたりで進む。直線ではぐっと上がっていったものの先頭までは届かず、3着に終わり、牝馬三冠の夢は潰えた。
このエリザベス女王杯を制したのは、奇しくも同じ織女星の名を持つ東の一等星「ホクトベガ」。この時の馬場鉄志アナウンサー(当時関西テレビ)が発した
「ベガはベガでもホクトベガです!!」
という実況は、多くの競馬ファンの心に刻まれている。
その後
エリザベス女王杯の後、ベガは体のバランスがおかしくなり、デビュー前のような体が弱い状態に戻ってしまった。93年の有馬記念には6番人気で出走。トウカイテイオーが奇跡の復活を果たす中で9着と、自身初の大敗を喫する。
93年末、牝馬二冠とエリ女3着が評価され、93年のJRA賞最優秀4歳牝馬を受賞。
1994年は春の天皇賞を目指すものの、少しの運動で筋肉痛等を訴えるようになり、前哨戦の産経大阪杯では1番人気におされながら9着大敗。この結果を受け、天皇賞は回避することになる。
次走の宝塚記念ではファン投票2位の5番人気となるが、ビワハヤヒデの5馬身差の圧勝劇の影でブービーの13着と大敗。これがラストランとなった。
圧倒的な素質を備えながら、常に足元不安と戦い続けた現役時代。
通算成績は9戦4勝、2着1回、3着1回というものだった。
引退後
1995年から繁殖入り。5人の仔を設けたが、2006年8月16日にくも膜下出血で死亡した。
初仔の1999年ダービー馬・アドマイヤベガなど、5頭の仔のうち4頭がオープン場と仔出しが良く、唯一出走しなかったヒストリックスターも母として桜花賞馬ハープスターを産んでいる。
ちなみに、ハープスターは琴座α星「ベガ」の別称である。
繁殖成績
生年月日 | 名前 | 性別 | 毛色 | 父 | 競走成績 |
1996年3月12日 | アドマイヤベガ | 牡 | 鹿毛 | サンデーサイレンス | 8戦4勝 |
1997年5月9日 | アドマイヤボス | 牡 | 青鹿毛 | サンデーサイレンス | 10戦2勝 |
1999年5月17日 | アドマイヤドン | 牡 | 鹿毛 | ティンバーカントリー | 25戦10勝 |
2003年3月3日 | キャプテンベガ | 牡 | 黒鹿毛 | サンデーサイレンス | 45戦5勝 |
2005年4月16日 | ヒストリックスター | 牝 | 鹿毛 | ファルブラヴ | 未出走 |
アドマイヤベガは1999年日本ダービー優勝など。
アドマイヤボスは2000年セントライト記念優勝。
アドマイヤドンは2001年朝日杯フューチュリティステークス、2004年フェブラリーステークス優勝など、GⅠ7勝。ヒストリックスターはハープスター(2014年桜花賞優勝など)の母。