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Yak-38の編集履歴

2020-07-14 07:58:55 バージョン

Yak-38

やーくとりーっつぁちゔぉーすぃぇみ

ソビエトが開発した初の実用VTOL戦闘機。VTOL専用であり、エンジンの出力を生かしてSTOLする事が出来ない(これは後の改良型で可能になったが)。通常の推進エンジンの他にVTOL専用の垂直エンジンを備えており、これが無駄な重量となって実用性を落としている。

ソビエト流VTOL

NATOのコードネームは『フォージャー(まがい物)』。

ハリアーと違い、最初から艦載機として開発されている。

初飛行は1975年、運用開始は1977年からである。

搭載母艦には当時最新鋭の『キエフ重航空巡洋艦』が使われた。

(『VTOL空母』とも称される)


イギリスのハリアー戦闘機と違い、Yak-38はVTOL専用の垂直エンジンを搭載する。

ハリアーがターボファンエンジンのバイパスダクトから出る排気を利用しているのと対照的だ。

どちらも機体前部を持ち上げる為だが、違った方法を取っているのである。


余談ながらイギリスがフォークランド紛争にてハリアーを貨物船商船改造空母として運用した事から、翌年に貨物船アゴスティニョ・ネトを利用しての試験が行われている。


ソビエト流の失敗

リフトジェット方式(機体内に垂直離陸用のエンジンを別に搭載する)のVTOL機で、とにかくも実用に漕ぎ着けた機体は、Yak-38とその発展型だけだった。

西側でもフランスのバルザックVと、その発展型ミラージュIII V、計画だけならアメリカのコンベア・モデル200などさらに多くの例があるが、いずれも実用段階まで進まなかった。

最大の理由は、リフトジェットは通常の飛行の助けにはならず、普段はただの無駄な重量物となってしまうからである。

(なお、後のF-35Bは、メインエンジンの動力の一部で“リフトファン”を回す、似て非なる方式である)


また垂直エンジンを内蔵すると、胴体外部には何も搭載できないのも欠点だ。

構造上では胴体は最も丈夫にしやすい(=最も多く搭載できる)部位であり、

ここに兵器を搭載できない欠点は搭載量の少なさとしても現れた。

(最大1.5t程度)


どちらにしてもYak-38は未完成な機体であり、兵器搭載量や燃料の少なさは致命的である。

対策としてはより低燃費・高出力なエンジンへの換装が考えられるが、

そもそもエンジンの数が多すぎて、重くなり過ぎるのである。

(実はこう見えて、通常の推進エンジン1基・垂直エンジン2基搭載の3発機である)

また燃料の搭載が増えると、エンジン出力との関係で離陸できない事態も考えられる。


第一、1.5t程度の兵器で何をしろというのか。

実用では500㎏爆弾を2発積むのが精いっぱいなのである。

また軽量化の為か、レーダーやFCSを搭載していないのも、兵器として致命的な欠点である。


このように、兵器としては全くの役立たずだったのである。


ソビエト流の(小さな)成功

ただし、リフトジェット方式にも長所がないわけではない。ソ連がこだわったのも理由がある。


  1. 一見無駄がないように見えるハリアーの推力偏向式だが、VTOLに必要な推力は、水平飛行時には過大であり、燃費が良くない。今度は大量の燃料が“デッドウエイト”となってしまうのである(ハリアーの改良型AV-8Bでは、新素材による機体の軽量化と、燃料タンクの増大で解決している)。リフトジェット式では、水平飛行時の燃費は通常の固定翼機と大差ない。
  2. メインエンジンは、推力偏向の仕組みさえ追加すれば、既存の技術・エンジンを流用できる。Yak-38では実現できなかったが、アフターバーナーの追加も可能。
  3. リフトジェットは使用時間が短いので、耐久性を犠牲にして軽量化できる。
  4. エンジンの“抜き取り”(メインエンジンは後方、リフトジェットは上下方向)が可能なので、メンテナンスが容易。

他にYak-38独自の強みとして、優秀な射出座席(脱出機構)がある。特にリフトジェット式のYak-38では、VTOL時にコントロールを失った場合、手動での回復、脱出は困難と判断され、墜落必至となった場合、自動で乗員を射出・脱出させる仕組みになっていた。これが幸いして、特に初期には事故による犠牲が少なくなかったハリアーに比べると、乗員の死亡率が低かった。


機体の素材に、世界で初めてリチウム合金を採用したのもYak-38だった。もっとも、こちらはその後、炭素繊維などの新素材が主流となったので、あまり注目されなかったが……


フォージャー(まがいもの)のブラフ(ハッタリ)

Yak-38の最大の功績は、V/STOL軽空母という新ジャンルの兵器を世に出し、長期間運用して見せたという点にあるだろう。

アメリカでさえ開発を断念したVTOL戦闘機(何しろ浮かび上がれさえしないポンコツ(=XFV-12)まで作ってしまったのだから、Yak-38を笑えない)を、“艦上”というハードルの高い環境で安定して運用するのは、並大抵の話ではなかった。空母“ミンスク”の太平洋回航時には、赤道直下の大西洋上で、高温による出力低下で離艦不可という事態が生じ、慌てて部品を空輸して、艦上で追加工事を行うという離れ業(?)までやってのけていた。

小さいながら改良も続けられた。当初は不可能だったSTOLでの離陸もレバー操作だけで可能となり、テストで終わったが、“スキージャンプ”(ロシア流では“トランポリン”)での離陸にも成功している。


何より、事あるごとにキエフ級の甲板に並べられ、アメリカへの示威行動に駆り出されたYak-38は、ブラフ(ハッタリ)として機能した。冷戦でお互いの兵器の詳細が分からない内は、ことさら有効だった。「飛ぶのがやっと」という機体であっても、勝手に相手が“過大評価”してくれたのである(当初は、Yak-38を“超音速機”と推測していた例もあった)

その姿はまさに『フォージャー(まがい物)』だったと言えるだろう(幸か不幸か、コードネーム通りである)


もっとも、この種の“ハッタリ”はアメリカのB-58などの例もあり、ある意味では“お互い様”だった。戦力としての実力以上(あるいは“以外”)の働きを示す兵器もあるのだ。

バレなきゃあイカサマじゃあねえんだぜ


実戦では役立たず、実らなかった改良、そして終焉

ただし、兵器としてのYak-38は、確かに完全に『役立たず』だった。

唯一の実戦投入の機会があったのはアフガン侵攻だが、もとより対地センサーを装備せず、対地兵装も多くは搭載できない、機銃も無い、そもそも航続距離も短い。その上、高温のアフガニスタンではエンジンの出力低下が著しく、空荷で離陸するのがやっとという有様だった。

現地に合わせた“砂漠迷彩”も用意されたが、早々に“戦力外”と判断され、引き揚げられた。


改良の余地も少なかったため、後継のVTOL戦闘機として新たにYak-141『フリースタイル』が開発された。Yak-38での経年と不満を踏まえて、“リフトジェット”以外は完全な新設計となったYak-141は見違えるような高性能機に生まれ変わり、世界初の超音速VTOL戦闘機として期待がかけられた。

しかし、開発半ばにして冷戦が終結(ソ連崩壊)。Yak-141の開発も放棄され、設計ノウハウは現在のロッキードマーチンに売却されてF-35の開発に生かされる事になる。

(詳細は当該項目を参照)


Yak-38も、ソ連末期の経済的困難からキエフ級空母の活動が低下するにつれ、稼働率を落とし、ソ連崩壊前に全機が事実上退役していたとされている。

1980年代半ばに、V/STOL空母の推進論者だったウスチノフ国防相、ゴルシコフ海軍総司令が相次いで死去し、“後ろ盾”を失った点も、Yak-38/141には不幸だった。


まさかの復活?

ところが、2010年代末期になって、ロシアは再びV/STOL空母への関心を寄せつつある。唯一現役の空母アドミラル・クズネツォフの後継として複数の案が検討されており、その中にはV/STOL機を運用する“軽空母案”も含まれている。

しかもV/STOL機であるが既に開発中だという、果たして?


まがい物と兄弟と

Yak-36「フリーハンド」

本機とは似ても似つかない前身、または原型。初公開は1967年のモスクワ航空ショー、主翼にロケット弾ポッドを搭載した姿で公開された。


当時の西側では、これをただの「ええカッコしいのコケオドシ」と見ていたが、実際には空軍での採用を狙った試作機であった。しかし同年に公開された機には、性能の頂点を目指したMiG-25のほか、MiG-23Su-24Su-17など離着陸性能にも注目した機も多くあり、どう考えても性能に劣るYak-36が採用される見込みは無かった。


Yak-36M

前身より大幅な改設計を受け、型番の上では改良型といいながらも、まったくの別物になった。

推力偏向エンジン2基は垂直エンジン2基+推進エンジンとなり、機体はずっと細くなって実戦機に相応しい外観になっている。また、Yak-36では主翼ハードポイントは2か所だけだった(重量や出力の問題による)が、実戦を視野に入れたことにより4か所に増やされた。

のちに型番が変更され、この仕様の機はすべてYak-38となる。


もうYak-36が空軍から注目されることは無かったが、ヤコグレフは海軍で新鋭のヘリ空母開発の情報をつかみ、それを見込んで開発に踏み切った。そのヘリ空母というのがモスクワ級ヘリコプター巡洋艦として知られる1123型対潜巡洋艦であり、実際に2番艦まで完成していたが、肝心の航空機運用能力は高いとはいえず、3番艦の建造は中止されることになった。しかし航空機を扱える艦が不要になった訳ではなく、設計を大幅に改めて発展させる方向に舵を切るのだった。


こうして完成するのが、1143型航空巡洋艦ことキエフ級重航空巡洋艦である。

今日ではご存じのとおり、この艦は「ヘリ搭載巡洋艦」の域を超えるものではなかったが、ヘリコプターと同様に運用できるYak-38は重要な搭載機として注目された。


Yak-38「フォージャー」

Yak-36Mが制式採用となり、生産されたもの。

制式仕様の実戦型ではあるが、いざ実戦配備になると同年代の機と比べても能力・装備面で見劣りする事が(やっぱり)明白になった。


生産数は139機。

やろうと思えば雲霞の如く製造できたであろうソビエトにしては、かなり控えめな数字となっている。


Yak-38M「フォージャー」

エンジンを改良し、1割程度の向上に成功している。

おかげで1.5tだったSTOL時の搭載力は2tへと改善され、VTOL時も運用の柔軟性がついた。増槽も搭載できるようになり、武装を搭載しない場合に限っては航続能力も良くなった(厳密には武装できない訳ではないが、増槽の重量は左右計800kgあり、とくにVTOL時はそれだけで最大重量近くになってしまう為)。

エンジンを改良しただけで、他の能力向上に全く手を入れていない「お手軽改良」では能力がそう上がる訳もなかった。


それ以降、海軍ではあまり興味が長続きしなかったようで、さらなるエンジンの改良や、電子機器を追加して実戦能力を高めるといったアップデートは行われなかった。

生産機数は50機。これも、既存機をしつこく改良し続けるソ連には珍しく控えめである。やはり発展の余地が残されていなかったということだろう。


Yak-38U「フォージャー」

Yak-38を2人乗りに改造し、とくに空母離発着訓練用に作られた練習機。

機首を大幅に延長して教官席を設け、同時に胴体後部も延長してつり合いを取っている(西側では教官席を後方に追加するが、ソ連/ロシアでは前方に設ける例が多い)


いちおう戦闘機型と同じ主翼を使っており、従って武装もできるハズであるが、胴体延長で運用自重がYak-38M比で約900kgほど増えたせいか、武装を搭載することはない。ただでさえこの重量増加はVTOL時の最大重量に近くなるものだったからである。

(そもそも練習用なので必要もないのだが)


長く垂れ下がった機首がバナナだの、チンアナゴだのを連想させると有名。

38機生産。


関連動画

Unique aircraft with vertical take-off Yak-38(初飛行:1971年12月2日)

※YouTubeチャンネル『Документалистика и наука』より転載


関連

VTOL

Yak-141

F-35


新世紀エヴァンゲリオン第07話「アスカ襲来」:Yak-38改として登場。

エリア88:VTOL機の特性を生かし、エリア88との補給便の運航ルートに出没していた。砂漠地帯が舞台だが、機体の塗装は海軍型のままである、とか言ってはいけない。

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