概要
プロフィール
無口で物静か。不思議な透明感と、どこか影のある憂いを秘めたクールな美少女。
走る以外の興味関心が薄く、ひたすらストイックにトレーニングに打ち込む姿は、まるで悲劇のヒロインを思わせる。(公式ポータルサイトumamusume.jpより)
モデルとなった実際のサイレンススズカはやんちゃ坊主な一面もあった逃げ馬。競走相手を突き放す圧倒的な逃げ足はそのままに、目の前の物事からは逃げず、直向きで真面目な求道者として描かれている。元ネタが元ネタだけに、儚げな雰囲気を纏ったヒロイン格として独特の存在感を示す。
流星は横になってヘアバンドに、やはりと言うかイメージカラーは緑。勝負服は白を基調に、緑と金色が鮮やかに映えるフォーマルな印象。立ち絵ではケープを羽織っているが、アプリ版のPVやアニメでは省略されている。
スレンダー体型の持ち主で、これには元ネタに冠された「最速の機能美」というキャッチコピーを思い起こす者も多い。ただ、あるエピソードにおける描写から、「限界まで絞り込んでいるだけで元々のスタイルは案外いい」と考える人もいる。
98年 宝塚記念
最速の機能美 サイレンススズカ
速さは 自由か孤独か
―2011年JRA宝塚記念CMより
ソロ曲
その優しさどうかあなたの心のためとっておいて
『 Silent Star 』
作詞:Cygames (corochi) 作曲・編曲:田中秀和 (MONACA)
追い風も向かい風も味方になるから
『 七色の景色 』
作詞・作曲:瀧田綺美 編曲:中西亮輔
アニメ
アニメでは第1話から登場。圧倒的な走りを見せ、スペシャルウィークの憧れの存在になる。
トレセン学園の最強集団・チームリギルに所属していたが、トレーナーの指示を遵守すべしという方針に馴染めず、スペシャルウィークの転入と同時期に、個々の自由な走りを尊重するチームスピカへ籍を移す。
移籍後は、ルームメイトにもなった新入りのスペシャルウィークを見守りながらもアドバイスや特訓に付き合い、良好な関係を築いている。第4話にて宝塚記念、毎日王冠、天皇賞、7話ではジャパンカップへの出走とその後の海外遠征が決定する。
競走成績
以下ネタバレ注意
第1話ではリギルのトレーナーの指示を無視し、1000mを57秒8という超ハイペースで大逃げを打ち、そのまま最終コーナーを抜ける。後続が追い込みをかけるが、すかさずラストスパートを掛けて逃げ切り圧勝。レース後にチームスピカへの移籍が決定する。
宝塚記念を制したスズカは第6話で毎日王冠に挑む。序盤からハナを切って逃げ、このレースが復帰戦となるグラスワンダーが3コーナーあたりから叩き合いに持ち込むと、その後方のナイスネイチャが捲りをかけ、エイシンフラッシュとエルコンドルパサーもそれぞれ仕掛ける。4コーナーを出て先頭は変わらずスズカ、その後位をグラスワンダーが追走し、外側にエルコンドルパサー、先にグラスワンダーがハイペースの先行馬の後位であったことと調整不足も相まって一杯となりズルズル後退。エルコンドルパサーが外側から追い込みをかけるが、
「どこまで行っても逃げてやる!!」(by アオシマバクシンオー)
と言わんばかりに、スズカがこれも千切って圧勝。4連勝で運命の天皇賞(秋)へ臨む。
劇中の11月1日に迎えた天皇賞(秋)、スズカは1枠1番・1番人気の“1並び”で出走。
レースはコンディション最高のスズカがいつも通りの大逃げでハナを切り、エルコンドルパサーが追走を試みるが、あまりの速さについていけずに7~8馬身ほど離され、逆に単独の2番手で逃げる態勢となる。
3コーナーの手前、1000mの標識を57秒台の超ハイペースで通過しなおも加速し続けるスズカ。彼女に競りかける者は1人もおらず勝利は確実かと思われたが、大欅の付近で不意に彼女の左足首が悲鳴を上げる……。
レースはエルコンドルパサーが勝利、競走を中止したスズカは病院で骨折の診断を受け、復帰への道をチームスピカやライバルたちに支えられながら歩むことになる。
1998年当時、多くの競馬・競走馬ファンにトラウマを植え付けた悲劇の再現となりながらも、様々な要因に救われたことで最悪の結末を避けることができたばかりか、レースへの復帰を誓う彼女の姿と、逆境の中に希望を灯す特殊ED『Silent Star』に心を揺さぶられた者は多い。
なお、史実ではこの第118回・天皇賞(秋)にエルコンドルパサーは出走しておらず(98年当時外国産馬には天皇賞(秋)を含む一部のG1レースへの出走資格がなかった)、史実における勝ち馬はオフサイドトラップ(鞍上・柴田善臣)である。
第11話、天皇賞の悲劇から1年1ヶ月、リハビリを終え、ついにレースに復帰したスズカ。レース直前、トレーナーから「復帰は絶望的と医者に言われていた」ことを明かされ、「出走できるだけで十分」という見方もある中で臨んだレースでは、ブランクからかスタートで出遅れ、最後方に付ける。
4コーナーを過ぎてなおも後塵を拝していた彼女だが、大欅を横目に息を入れると、溜めていた力を爆発させて怒涛の追い込みを開始。一気に前団を交わすと先頭で粘るサンバイザーをも難なく差し、さらに突き放すかのように加速、長かった沈黙を鮮烈な勝利で打ち破る。逃げから追い込みへの変化はあれどかつての豪脚復活に誰もが歓喜した。
奇しくもアニメが作られた2018年は、史実の「沈黙の日曜日」から20年の節目。全ての競馬・競走馬ファンの「永遠に叶わぬ夢」を集結させ、実現させた演出に、涙した競馬ファンも多かったであろう。
その後、海外遠征を敢行し、G1を勝利したことが13話で語られ、ウィンタードリームトロフィーへと参戦するべく帰国する。既に逃げの脚質に戻していたようだが、レースに登場したのが追い込んだ11話以来であったため、追い込み宣言で視聴者やスぺシャルウィークを惑わせるといった心理戦も見せている。(レースではもちろん逃げている)
話数 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 | 枠番/馬番 | 着順 |
5話 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m | ? | 9着 |
7話 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m | ? | 6着 |
1話 | 東京 | ? | ? | ? | 8/12 | 1着 |
3話 | 中京 | ? | ? | ? | ? | 1着 |
6話 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m | ? | 1着 |
6話 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 芝1800m | 2/2 | 1着 |
7話 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m | 1/1 | 競走中止 |
11話 | 東京 | ? | OP | 芝1600m | 1/1 | 1着 |
13話 | 東京 | ウィンタードリームトロフィー | GI | 芝2400m | 1/1 | ? |
全競走成績:8戦5勝(2着⓪3着⓪着外②中止①)
※第1話・3話・11話・13話(遠征)のレースの元ネタは明言されていないが、史実を踏まえると、以下の競走の可能性が高い。
第1話… 東京レース場、1000mのラップタイム → バレンタインステークス(オープン特別)
第3話… 左回りの馬場、2着に11馬身の大差をつけて勝利 → 金鯱賞(GII)
第11話… ジャパンカップ前日のオープン特別競走 → キャピタルステークス(オープン特別) ただし史実ではスペシャルウィークがジャパンカップに出走した年の当レースは1600万下クラス限定の上、ハンデキャップ競走だったので、オープンクラスの上1年以上のブランクがある彼女には出走資格がない(ハンデキャップ競走は1年以内の出走実績が必要)。
第13話(遠征)… ニューヨーク発の便で帰国しているため、ニューヨーク近辺の競馬場で行われているレースと推測される。
東京優駿の9着(1997年 勝者はサニーブライアン(鞍上・大西直宏))は第5話で本人の口から語られており、天皇賞(秋)の6着(1997年 勝者はエアグルーヴ(鞍上・武豊))は第7話でトレーナーが明言している。
競走馬サイレンススズカ
1994年に母ワキアと父サンデーサイレンスとの間に生まれた牡馬。
主な勝ち鞍は宝塚記念(GI)と毎日王冠・中山記念・金鯱賞(GII)
主戦騎手は上村洋行→河内洋→武豊。宝塚記念のみ南井克巳が騎乗している。
4歳(現表記3歳)の秋までは勝ちきれないレースが続いていたが12月にGⅡ香港国際カップ(現GⅠ香港カップ)にて、後の相棒となる武豊騎手が初騎乗。 結果は5着だったが武騎手はこう述べた。
「この馬は化け物だ」
「来年はこの馬で勝ちますよ」
翌年その言葉は現実のものとなる。「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」そんな評価をサイレンススズカに下した武豊は大胆な騎乗を思いつく。
それが大逃げである。
「抑えようと思ってもきかない。だったら、前半から好きなように走らせた方がいいと思った。この馬は走っているときがいちばん楽しそうでしたからね。それでも持つんじゃないかな、と」
通常であれば主戦法になりえない選択をした武豊は年明け初戦に東京競馬場でのオープン特別・バレンタインステークスにこの騎乗のためだけに関東へ遠征しこれを圧勝。続く中山記念、小倉大賞典でも逃げ切り勝ちを納める。
これらの騎乗で武騎手は「一時息を入れる」ということをサイレンススズカに覚えさせた。
※息を入れるとは逃げ馬がレース途中で意図的にペースを落としラストスパートのためのスタミナを温存することである。
「馬が気付いてくれたんです。それで最後の最後で、また加速できるようになった。これはすごいことになったなと思いましたね」
そうして迎えた金鯱賞、スズカは11馬身差をつけ圧勝。「あんな体験、普通はできない。(後ろからくる)足音をまったく聞かないままゴールしちゃったんですから!」と武豊は当時の金鯱賞を振り返る。
さらにGI馬が名を連ねる宝塚記念に出走。
武豊はエアグルーヴ騎乗の先約があったため急遽南井克巳が騎乗。レース本番は南井が初騎乗であるということと距離を考えて金鯱賞に比べ抑えぎみにレースを進め直線で後続を引き付けゴール前に南井が鞭を入れ加速して逃げ切り、初のGI制覇。
続く毎日王冠では武豊が鞍上に復帰。しかしNHKマイルカップ優勝馬エルコンドルパサーと前年の朝日杯3歳ステークス(現:朝日杯フューチュリティステークス)優勝馬グラスワンダーの無敗の外国産4歳馬2頭が出走することになった。
レースはスズカが1000mを57秒7のハイペースで逃げる展開に。直線で脚を消耗した後続を引き離し辛うじて追い込んできたエルコンドルパサーですら2馬身半差の2着という内容で完勝。
これでこの年に入って6連勝で、最大の目標である天皇賞(秋)に王手をかけるとともに名実共に当時の最強馬となったといっても過言ではなかった。
何もかもが順風満帆だった。誰もがスズカの他馬を圧倒するスピードに酔いしれていた。たくさんの人が多くの夢を彼に見ていた。
「最高のレースが出来て、いよいよ海外も視野に入れ始めた。みんなびっくりするんじゃないかって話していたところだったんです」
沈黙の日曜日
そして迎えた天皇賞(秋)これといった相手もおらず馬券の売り上げは圧倒的にサイレンススズカが1番人気(単勝1.2倍)で11月1日東京11R1枠1番1番人気という1並びで武豊も担当厩務員ともに口をそろえて「一番具合が良い」と述べ、晩成型の体が完成段階に入り体調も完璧。もはや故障でも起こらない限り彼の勝利だと思われていた...
レースはスタートから飛び出した最内のスズカがハナを切り大きく差を広げていく。1000mを57秒台の快ペースで通過した時点で二番手のサイレントハンターには10馬身近い差がつき、その後ろも7~8馬身近く開きカメラを一杯までひかないと馬群が入りきらないほどの圧倒的なリードをつけていた。
「息が入り始めて、いいぞ、いいぞ、と。本当にいい感じだった」と武豊が話すようにここまではすべて予定通りだった。
しかし大欅を通過したところで異変が起きる。突然彼の歩調が乱れペースが落ちていく。
「レース中、何が起こったかはすぐにわかった。ジョッキーにとっては、いちばん嫌な瞬間ですね」
どよめく会場、そして叫ぶ実況。
「敵は己自身!打ち勝つことはできません!!」(ラジオ日本・仙田和吉)
「これは大変!大変!やはり府中の二千mには、魔物が棲んでいた!!」(大阪MBSラジオ・美藤啓文)
「サイレンススズカ!サイレンススズカに故障発生です!なんということだ!4コーナーを迎えることなくレースを終えた武豊!沈黙の日曜日!!!」(フジテレビ・塩原恒夫(現・BSフジ編成局広報担当局長)、この塩原の突発的に出た「ポエム」は、このレースを形容する言葉として定着している。)
しかし彼は左脚を骨折しながらも3本の脚で踏ん張り鞍上の武豊を落とさず馬群を避けつつ安全な場所に運んでいった(結果、接触等はなく、2番手のサイレントハンター(鞍上・吉田豊)が外を回される程度にとどまった)。が、この踏ん張ったことにより故障部分をさらに悪化させてしまう。踏ん張らずに転がっていれば助かった可能性もあったがその場合鞍上の命が危なかった。
「なかなかいない。あのトップスピードで、あれだけの骨折をして転倒しない馬は。僕を守ってくれたのかなと思いましたね。今でもすごくよく、サイレンススズカのことを思い出すんですよ。せめてあと数百メートル、走らせてやりたかったな。うん、すごい残念。今でも悔しいですもん」と武豊は当時を振り返る。
診断は左前脚の手根骨粉砕骨折。もはや手の施しようがなく直ちに予後不良...安楽死処分が下された。
処置時普段は感情を表に出さない武豊が号泣して取り乱し、その夜、彼は知り合いとワインを泥酔するまで飲み明かした。
「泥酔したの、あんときが生まれて初めてだったんじゃないかな。夢であって欲しいな、って」
また、この日の故障の原因を聞かれた際、「原因は分からないんじゃない、ないんだ!」と怒鳴るように言ったという。
テイエムオオアラシに騎乗していた福永祐一騎手曰く「あんなに落ち込んだ豊さんを見たのは初めてだった」
この事件は武豊の心に大きな影を落とし、2007年になるまで武豊はサイレンススズカに深く言及することはなく、2013年のインタビューでも、事故の話になると途端に拒絶し、笑顔を引っ込めた。
しかしこの事件が武豊というジョッキーをさらなる高みへ導くことになる。
2007年Number誌上にて武豊談
「この馬ならG1馬相手にものすごい勝ち方ができると思っていたのに、その夢が一瞬にして消えてしまった」
「あんなことになっていなかったらなぁ、って今でも不意に思い出すときがあります。天皇賞は間違いなく勝っていただろうとか、その後のジャパンカップとか、ブリーダーズカップにも行っていたかとか。もし(サイレンススズカが)いたら、きっと凄い仔を出していただろうな、って」
余談
アニメ第6話で自室を左回りにグルグル回る姿が描かれているが、実際のサイレンススズカにも馬房で長時間左回りにクルクル回り続ける「旋回癖」と呼ばれる癖があった。旋回をやめさせたところ、スズカは膨大なストレスを溜め込み、その後のレースに大きな影響を与えてしまったのだとか。なお、この癖が関係してか史実のスズカは左回りのレースを得意としており、アメリカへの遠征計画も同国の競馬場に左回りが多いことが発端である。(当時、左回りの競馬場は中京競馬場と東京競馬場しかなかった。新潟競馬場が左回りになるのは2001年である)