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ピルサドスキーの編集履歴

2021-07-06 01:24:14 バージョン

ピルサドスキー

ぴるさどすきー

1992年アイルランド生まれの競走馬。1996年のブリーダーズカップ・ターフ(米)、1997年のエクリプスステークス(英)など欧米でGⅠ5勝を挙げた。引退後に日本で種牡馬となるため輸入され、現役最後のレースとして1997年のジャパンカップに出走、勝利した(その際のエピソードは記事中にて)。半妹に日本で活躍したファインモーションがいる。

プロフィール

生年月日1992年4月23日
欧字表記Pilsudski
性別
毛色鹿毛
ポリッシュプレセデント
ココット
母の父トロイ
競走成績22戦10勝

祖父はノーザンダンサーの後継種牡馬の1頭で、日本調教馬でもアグネスワールドビコーペガサスなどの父であるダンジグ。

半妹に2002年の秋華賞エリザベス女王杯を制したファインモーション(1999年生、父デインヒル)がいる。


競走馬時代

欧米での活躍

1994年デビュー。2歳時は3戦未勝利、1995年(3歳)の7月にようやく初勝利と、当初はパッとしない馬だった。


しかし、古馬となった1996年に急成長。GⅢ勝ちを経て、アメリカの芝中距離最強馬決定戦であるブリーダーズカップ・ターフを含めGⅠ2勝を挙げる。

1997年も、イギリスのエクリプスステークス、チャンピオンステークスなどさらにGⅠ3勝。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと、フランス凱旋門賞でも2着に食い込んだ。


1997年ジャパンカップ

欧米競馬界で素晴らしい活躍を挙げたピルサドスキーは、1997年限りで引退し、JRAが買い取って日本で種牡馬となることが決まった。

日本に輸入された本馬は、現役生活最後の競走としてジャパンカップに参戦。いわば、新種牡馬の挨拶代わりのお披露目会である。


……ところが当日、出走直前のパドックにて放送事故が発生する。

ピルサドスキーがパドックを回りながら、思いっきり馬っ気を出していたのだ。GⅠレースの注目馬なので当然日本のお茶の間に全国放送されており、生中継なのでモザイクがかけられるわけもなかった。

これを見て馬券を買うのをやめたファンもおり(そういうケを見せた馬は購入から外すのが鉄板とされる。レースに集中できていない証だから当たり前ではある。)、ピルサドスキーの人気は3番手まで下がった。

※問題のシーンは00:58より。自己責任で視聴のこと……。


しかし、いざレースが始まるや、最終直線で内から素晴らしい末脚を発揮、2着エアグルーヴ・3着バブルガムフェローを制し勝利。トータルGⅠ6勝目を挙げた。エアグルーヴ騎乗の武豊をして「レース運びは完璧だった。これを差し切る馬がいるとは」と驚愕させている。


この日、ピルサドスキーが一体何に興奮していたのかは知る由もない。

少なくとも動かぬ事実として、同年のジャパンカップに出走した14頭のうち、牝馬はエアグルーヴただ一頭である。(まさか「ウホッ!いい牡馬…」という相手がいたわけでもあるまいが…?)

なお競馬の神様こと大川慶次郎氏は自身の著書で

ピルサドスキーが馬っ気を出したのは発情ではなく「俺が一番強い!王様だ!」というのを他の出走馬に対して誇示するための行動

と推察している。

ちなみに動物行動学的見地からもこの推察にはそれなりの妥当性がある。


ひとまず、そんな状態でも勝ってしまう強さと、ついでにナニの立派さまで見せつけ、新種牡馬のお披露目としては上々の結果となった…。


引退後

以上のような流れを経て引退、日本で種牡馬入りした。当然のように人気と期待を集め、有力な繁殖牝馬が集まり、産駒が高値で取引されたが、いざ2001年に産駒がデビューしてみるとこれが走らない。なんと初年度中の勝ち上がり(=新馬戦または未勝利戦で、とにかく1勝)頭数ゼロ


1992年の阪神3歳牝馬ステークス馬スエヒロジョウオー、1993年の桜花賞オークスともに2着のユキノビジン、1994年のオークス馬チョウカイキャロルなどにも付けたが、結局中央のオープン馬や地方重賞勝ち馬がわずかに出た程度。

当然あっという間に種付け頭数は減少し、産駒デビューからわずか2年半でアイルランドへ買い戻された。


似たような経緯をたどったアメリカ産種牡馬・ジャッジアンジェルーチは母父の世代になって活躍馬を出したが、ピルサドスキーはブルードメアサイアーとしてもかろうじてオーストラリアの国民的レースであるメルボルンカップの勝ち馬を出したぐらいに終わった。


余談

  • 妹のファインモーションも元々繁殖牝馬として輸入されたところ、競走馬として望外の活躍。期待されていざ引退後に種付けを行ったら、医学的に妊娠ができない身体であることが発覚し、当初の目的である産駒を残せなかった。まったく、兄妹共々競走馬としては超一流だったのに散々なお話である。
  • 名前の「Pilsudski」はポーランド語に由来し、現在のポーランド共和国建国の父ユゼフ・ピウツスキ(1867~1935)から取ったものである。ところが、日本に輸入されてカタカナ馬名登録を行う際「なんて読むんですか?」と、元々の所有者であるイギリス人馬主に尋ねた結果、英語読みの「ピルサドスキー」で登録されてしまった。当時、建国者の名を誤った発音で登録するとは国際問題になりかねない、と議論になった。もっとも「ピウツスキがパドックでナニを披露」だの「ピウツスキの子種は全くの期待はずれ」だの言われずに済み、結果オーライだったのかもしれない…。

さらに余談

ウマ娘のゲームではピルサドスキーは実装されていないが原因はおそらく…(汗)。

関連イラスト

センシティブな作品


関連タグ

競走馬 ジャパンカップ

ファインモーション


勃起 放送事故

どうしてこうなった 勃起…しちゃいましてね…


ウマ娘プリティーダービー関連タグ

ピルサドスキーホイホイ…ピルサドスキーがホイホイされそうなエアグルーヴ(ウマ娘)のイラストに付けられるタグ。

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