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ルッキズムの編集履歴

2022-01-30 19:29:56 バージョン

ルッキズム

るっきずむ

「見た目」に基づいた評価による差別と偏見のこと。

「不思議なことに、美は善であるという完全な幻想が、往々にして存在するものです」

(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ)


解説

英語のLookismのカタカナ表記。「外見至上主義」とも訳される。

主に身体的……端的に見た目」が魅力的ではないのを理由とした差別偏見を指す(匂いや声等も判断基準に含まれる例もある)。

この場合の「見た目」とは、多くの場合顔立ちや体型を指すが、場合によっては髪型や化粧、服装等も含まれる。


「魅力的かどうか」……つまり美醜の判断は、その時代や地域における一般的な価値観に加え、判断する人の育った環境やそこで培われた個人的な価値観によるものである。その為、すべての場において一律に用いられるような基準ではない。


近年叫ばれているダイバーシティの真逆を行く差別行為で、世界中で問題となっている。ルッキズムがいじめパワハラセクハラDV等の社会問題と結びついているケースも多い。また、「見た目の悪さを理由に、容姿を磨くのを阻止する」苛めも存在しているとか。


一部では、特定の人種や障害などについて差別的な価値観を持つ人が、その理由として「自分にとってその特徴は醜いと思うから」とする、身体的特徴を攻撃するような場合(逆に、差別行為の一つとして「○○な人はそのような特徴を持っていて醜い」と攻撃する場合)も見られる。これらは到底許される行為ではない。


原因

例えば、就職活動の場において、同じ程度の能力を持っている「(世間一般の基準において)美しいとされる人」と、「そうではない人」が試験を受けた時、2人のどちらかが選ばれるかは必ずしも平等ではない。実際にアメリカで「容姿の優れている人は雇用機会にも恵まれる」研究結果が発表されている。→リンク先は英語ページ

本来なら、見た目の美醜が能力の優劣の根拠とならない事実は理解していても、どうしても見た目で評価を行い偏見を抱いたり決めつけを行ってしまうのが、ルッキズムの厄介なところである。


だが、その調査結果からか、現代のアメリカでは「自分より容姿が優れる自分より出世する」等の偏見が企業上層部に密かに蔓延しており、面接の前に敢えて『容姿を崩す整形手術』を施行する面接希望者が増えている。



こうしたルッキズムは視覚的情報に強く依存する、人間視覚システムの働き方の産物であり、行動選択の際に美醜を判断基準としない判断を行えるものの、内心から根絶するのはほぼ不可能と思われる。

その理由は美醜に関わる嗜好が、生物の本能に由来する部分を多分に含む為である(赤子や人間以外の生物にすらルッキズム的行動が見られる)。

また、自身にとって「違和感のあるもの」はどうやっても受け入れ難い。例えば、初めて見た異国の人やその風習に基づく外見的特徴などを、全ての人がすぐに受け入れられるとは限らず、戸惑いが差別や攻撃につながる可能性がある事態も留意が必要である。


注意しなければならないのは、美しいもの・可愛いものを好む、醜いもの汚物を嫌悪する等の考え自体は悪では無く、その様な個人の嗜好まで批判の範囲を広げる行いは権利・自由・多様性を否定する危険思想であり、行ってはならない。


また、ルッキズム的な感覚を安易に否定するのは、モデル俳優のような芸能人をはじめ、各種施設などの受付、営業職、接客業も含めた「人と接するときの見た目」を仕事にしているような人の能力も否定することにつながるといえる。更には、ファッションメイク等の「身だしなみ」に近いところまで、美醜の基準として持ち込んだ時も同様である。


問題点の根源は、個人の嗜好自体にある訳では無く、「美しい=有能」「醜い=無能」と個人的に決めつけての差別にあり、批判が許されるのはその点のみであるのを肝に銘じる必要がある。

もちろん、手当たり次第に「ルッキズムだ」と批判して、炎上させたり封殺したり「政治的に正しく」して文化統制するのも問題である(そこまでやる場合、美男美女の絵ばかり書いているpixivなんかは閉鎖待ったなしである)。


また、ルッキズムを批判する高学歴インテリやライターは「学力試験は頭の良さを比較する差別行為なので辞めるべき」等とは決して口にしない為、ダブルスタンダードと批判されている。


1990年代オタクバッシングについては不衛生、下品といったルッキズムの影響も大きいのだが、インテリ側はこれまでオタクをバカにしてきた都合上、今さら意見も変えられず、むしろ『「萌え~」等とのたまうオタク共がルッキズムの根源』等と揶揄される事態も(もっとも、前述の意見がルッキズムの根源ならば、著名な女優や女性タレントに惹かれる女子中高生達の、一方的なカリスマ化による流行も同じものと思われるが)。


尚、その流れからか、一部の大学等であったミスコンも、次第に『ルッキズムの助長』等の非難の対象にされた為に次々と廃止・代わりに知性インフルエンサー性を競うコンテストに変更していった。


「美人ですね」はタブー

近年のアンチ・ルッキズム思想により、女性に対する「美人ですね」「美人~~~」等の称賛がタブー視されるようになってもいる。

不快になる層曰く「外見しか見ていない、典型的な男尊女卑によるルッキズムの象徴そのもの」としている。

だが、これに対し男性に対する「美男子」「イケメン~~~」ほぼ不問にされている現状もあり、正に男女差によるダブルスタンダードが横行しているのが現状である。

また、更に過激思想になると、「某似の美人」「発言者の『美人像』の押し付け」として嫌悪されている。


……もっとも、ここまで過度のアンチ・ルッキズム思想に至ると、上記にもある主張の押し付けであり、引いては言葉狩りや発言・表現の侵害になり兼ねない為、抑えるべき事態でもある。


また、このせいで一部のインテリ層からは『美人』に代わりかつ『ルッキズム』に抵触しない、相手の外見を称賛する言葉の必要性」が提唱・検討されると、最早本末転倒な異常事態とも化している


フィクションにおけるルッキズム

創作物主役(主人公側)を 「清潔感」が漂う美男美女に描き、悪役化け物のように醜く描くキャラクター設定は、古来より定番となっている。もちろん美形悪役もいる。


人間以外に対するルッキズム

  • スーパーで果物野菜を買う時などに選別の決め手になるのはもちろん「見た目」である。店先に並ぶのは均整な見た目の品を並べる傾向が強い。しかし実際には見た目の均整さと味等の品質は比例関係にあるとは限らない。ちなみに均整さを欠くが高品質な品はその価値を理解している者達が取引・消費している。

  • 装飾目的の宝石金属等も、産業的有用性は考慮されず評価基準は「美しさ」と「希少性」に重きを置く。

  • 乗り物では顕著で、性能は普通でもデザインの成功/失敗で栄えた車種、滅んでいった車種は数え切れない。鉄道車両でも平面顔の車両は流線型や楔型の車両より性能が低い、安いと思われがちである(特にこれとか)。500系新幹線はあまりパッとしなかったが成功作の700系新幹線よりも圧倒的に人気である。

  • 建築の分野では、イケメンな建築物は保存され街のシンボルになるが、戦後初期モダニズム建築のような地味なものは再開発の対象になりやすい。また景観が美しくないところはそれだけで駄目都市扱いされがち。


余談

遺伝子学上、美女や美男は「遺伝子が弱い」、逆に個性的な容姿の持ち主は「遺伝子が強い」とされる。


関連タグ

差別

かわいいから許す かわいいは正義 ※ただしイケメンに限る イケメン無罪 ※ただし美人に限る

みにくいアヒルの子 コノハナサクヤヒメ/イワナガヒメ ラーの鏡

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