みにくいアヒルの子とは、アンデルセン童話のひとつである。
また、フジテレビ系で火曜日夜9時に放映されていたドラマのタイトルでもある。主演:岸谷五朗。
概説
1834年発表の作品。
悲劇やトラブルによる不幸に見舞われやすいアンデルセン童話のなかでは、珍しくハッピーエンドで締めくくられる作品でもある。
アンデルセン自身、舞台役者を志すも身長が足りずに役に恵まれず、その後に挫折した経験があることから、本作にはそうした「苦節からの大躍進」という作者の願望の一端が覗いているのかもしれない。
あらすじ
とあるアヒルの巣に一つだけ見覚えのない卵が混ざっていました。
それが卵から孵ると、周りは黄色い雛ばかりなのにその雛だけは灰色で他より大きく、また少し首が長かったのです。
親鳥は彼を「七面鳥の子かもしれない」と考えるも、雛は雛として育てていくことを決めて育て始めます。しかし成長していくにつれ、他の兄弟やアヒルたちは彼を「醜い」とさげすみ、親鳥の目を盗んでは彼を執拗にいじめました。
この仕打ちに耐えられなくなった雛は、巣を抜け出してほかの鳥の群れへ迎え入れてもらおうとします。
でもほかの鳥の群れでも同じようにつらく当たられ、追い出されるばかりでした。
そうしているうちに冬が訪れ、雛は一人さびしく冬を越すことになるのでした。
とうとう生きることに希望が持てなくなった雛は、白鳥の群れにまぎれて彼らに殺してもらおうと考え、白鳥のいる水辺へと向かいました。
そして水辺にたどり着いたとき、雛は水面に映った自分の姿をみて驚きました。
彼はひと冬を越すなかでいつの間にか大人となり、そして見事に美しい白鳥へと成長していたのです。
こうしてみにくいアヒルの子は、自分の本当の姿を手に入れ、白鳥の群れに迎えてもらえたのでした。
その他
のちに初期のディズニー作品の短編映画としても作製され、1939年のカラー版は第12回アカデミー賞の短編アニメ作品部門で入賞している。
本作では白鳥の群れの中に、みにくいアヒルの子の本当の親が登場し、親子の感動の再会が用意された。
周囲から除け者にされ、苦境の中で育ったみにくいアヒルの子が、最後はだれしもが認める美しさの象徴である白鳥に成長するストーリーは、現在でも「潜在的な才能や魅力を持った人物のサクセスストーリー」として認知されている。
同時に「自分は“みにくいアヒルの子”で、いつか白鳥になれる日が来る」という小人物の妄想という、別の意味でアンデルセン童話らしい皮肉として引用されるケースもある。某仮面ライダーに登場した白鳥怪人とそのファンクラブの言動はこれに近い。
小ネタ
- みにくいアヒルの子が「白鳥に殺してもらおう」と考えるシーンがあるが、これは白鳥が大変に縄張り意識が強く、部外者には攻撃的で警戒心も強い性質に基づくもの。特に子育て期は人間へも攻撃し、大人の腕を折るほどの力を発揮する。
- 白鳥の雛自身は、人間視点であるがそこまで醜いわけではない。薄灰色の羽毛に覆われ、黒いクチバシをしており、立ち上がるとペンギンのような寸胴体形をしており、お尻がふわふわしていて、結構カワイイ。あくまでアヒルの視点から見て醜いという意味であろう。
- 親鳥となったアヒルは、みにくいアヒルの子を「七面鳥の子」と考えていたが、その七面鳥の雛は薄黄色に茶褐色のまだら模様が頭や背中に出る姿をしているため、割と見当はずれだったりする。
- 白鳥は子育ての際、自分の背中に雛を乗せて世話をすることで知られる。まさにスワンボート。
関連タグ
- シンデレラ:これの人間版。
- コアルヒー:先輩以上にアヒルな外見のポケモン。進化すると本当に白鳥になる。
- キグナス・ゾディアーツ:白鳥座がモチーフのライダー怪人。彼に助けられた人々が「醜いアヒルの子の会」というファンクラブを作っていた。
- アヒルメギド:この童話がモチーフのライダー怪人。末の子が透明化能力を持ち、こちらも白鳥に進化する。作中では「見えにくいアヒルの子」というアイテムから生み出された。「醜い」と「見にくい」が同音異義語である為、このような名称になったと思われる。お前たちの令和って見にくくないか?
- 追放もの:小説家になろうをはじめとするサイトで閲覧できる小説のジャンルの一つ。『グループを追い出された主人公が実は優れた素質を持っていて、それにより報われる』という点が共通しており、そういう意味では『みにくいアヒルの子の後輩』とも言えるジャンルである。
- サンデーサイレンス:アメリカの競走馬。生まれた頃は見栄えのしない容貌で、更に脚が内側に曲がっていた(人間で言うと内股)事で推進力がない上に、父親のヘイロー譲りの気性難があると見做されて全く売れなかったが、競走馬としては生涯戦績14戦9勝(敗戦したレースでも全て2着に入っている)、うちGⅠレース6勝、そして1989年度のアメリカでの年度代表馬に選出される等の活躍を見せた後、種牡馬として来日を果たし、フジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシを始め、後にディープインパクトや孫の世代でオルフェーヴルやコントレイルといった三冠馬や強豪馬をも輩出。16歳(人間で例えると50歳ほど)で生涯を閉じるまでリーディングサイアー(ある国、ある地域、もしくは団体において、1シーズンの産駒の獲得賞金の合計額による種牡馬の順位の事、もしくは単にその順位で1位になった種牡馬の事を指す)の座を明け渡さなかった等、競走馬版「みにくいアヒルの子」を体現させている。