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データ

馬名ツルマルツヨシ
英字表記 Tsurumaru Tsuyoshi
生産日高シンボリ牧場(北海道沙流郡日高町)
生年月日1995年4月6日
性別
毛色黒鹿毛
シンボリルドルフ
スィートシエロ
母の父コンキスタドールシエロ(Conquistador Cielo)
調教師二分久男(栗東)
主戦騎手藤田伸二
競走成績11戦5勝
生涯獲得賞金1億7428万2000円
近親-
没年存命(2022年3月現在)

概要

多士済々揃う98世代にあって、その素質は高く評価されながらも体の弱さから中々活躍出来なかった競走馬。重賞勝ち鞍は99年のGⅢ「朝日チャレンジカップ」、GⅡ「京都大賞典」の2つ。

日高シンボリ牧場の生まれ。父はかの皇帝シンボリルドルフであり、ツヨシはルドルフ産駒最後の大物となる。

母はアメリカから輸入された繁殖牝馬スィートシエロ。

母父コンキスタドールシエロは故障に悩まされながらも米国クラシック三冠最終戦ベルモントステークスを14馬身差の圧勝で制し、エクリプス賞年度代表馬にも輝いたアメリカの名馬。大種牡馬ミスタープロスペクターの初期代表産駒の1頭だが、種牡馬としてはそこそこ。孫世代(いずれも父父)に朝日杯FSの勝ち馬エイシンチャンプ、香港の名スプリンターサイレントウィットネスなどがいる。またJRA初の熊本県産重賞馬ヨカヨカも直系曾孫である。

馬主は鶴丸観光(現サンプラザホテル)の創業者・鶴田任男氏。

冠名は社名にちなんだもので、他に

ツルマルガール(94年朝日チャレンジカップ)、

ツルマルガイセン(98年中日新聞杯カブトヤマ記念

ツルマルボーイ(04年安田記念、02年金鯱賞中京記念

といった重賞馬がいる。

管理調教師は栗東の二分久男師。良血統の馬はあまり扱っておらず、他にマチカネフクキタルテイエムオオアラシシンカイウンなどを管理。二分師にとってツルマルツヨシは最後の重賞馬となった。

主戦騎手は藤田伸二で、全11戦中10戦に騎乗している。

現役時代

あまりにひ弱すぎて…

「ツヨシ」という名前に父シンボリルドルフ譲りの見栄えする馬体…とは裏腹に、多血症(赤血球などの血液成分量が通常より多く、更に異常上昇しやすい)というひ弱な体質を抱えていたツルマルツヨシ。当初はちょっと走るとすぐにフラフラになってしまう有様だった。

当然デビューは遅れに遅れて年明け3歳(旧4歳)、98年5月2日の未勝利戦。選んだレースは京都競馬場のダート1400m戦。絞るに絞れず514kgという重い馬体で登場したが、スタートから敢然と先頭に立つと、堂々逃げ切り。さすが素質は一級品と唸らせるレースっぷりだったが、走り終わった後はフラフラで、回復まで半年を要してしまった。

11月8日、2戦目の500万下「逢坂山特別」(京都 芝1800)で芝デビュー。やはり510kgの重め残りで5着。これを叩きとして、11月28日の500万下「犬山特別」(中京 芝2000)では506kg(-4kg)で出走。代役の佐藤哲三を乗せ、今度は後方からの上がり最速の末脚でひとまくりし、2着ステートフェローを3馬身半ちぎって見事2勝目をマークした。

年が明け、1月から本格始動…と思いきや、今度はフレグモーネを発症してしまいまたも休養。しかし坂路調教やプール調教の積み重ねで、体質は徐々に強化されてきていた。

6月6日の900万下戦「三河特別」(中京 芝1800)で復帰。馬体重は12kgも絞って494kgと、これまでとは違ってきっちり絞った馬体で登場した。好位先行策で進み、後続に8馬身の差をつけた2着エレガントモアを更に桁違いの末脚で差して2馬身半千切る圧勝。このレースを見た大川慶次郎氏は「この馬はとんでもない馬になる」と断言した。

夏競馬の7月25日、格上のGⅢ「北九州記念」(小倉 芝1800)で重賞初挑戦。最軽量ハンデの3番人気で、逃げたアンブラスモアを捉えきれず、エイシンビンセンスの3着に終わった。

そして9月12日、GⅢ「朝日チャレンジカップ」(現:チャレンジカップ、阪神 芝2000)に、同厩のテイエムオオアラシ、同馬主のツルマルガイセンとともに出走。5番人気のツヨシは道中中段につけ、先んじて抜け出した1番人気メイショウオウドウを上がり最速の末脚一閃、大外から一気に差し切って重賞初勝利を挙げた。

ライバル達に追いついて…

10月10日、GⅡ「京都大賞典」(京都 芝2400)に出走。このレースで同期のダービー馬「スペシャルウィーク」と初めて対戦することが出来た。1番人気スペシャルウィークは天皇賞含む春3連勝に宝塚記念2着と順風満帆…だったのだが、叩きのレースだったせいかまさかの重め残り。

2番人気は昨年の春天覇者で99年春天もスペシャルウィークの2着に入ったメジロブライト。3番人気は99年皐月賞馬のテイエムオペラオーで、初めての2400戦となるツヨシは4番人気だった。

レースが始まると、ミスズシャルダンとブリリアントロードの2頭がレースを引っ張り、スペシャルウィークが3番手で飛ばす中、ツヨシはステイゴールドと並んで内ラチ沿いの4番手につけ、オペラオーはスペシャルウィークを後ろからきっちりマークする展開で進む。

しかし直前に入ってもスペシャルウィークは伸びず、逆にズブズブと沈んでいき、そのスペシャルウィークをマークしていたオペラオーも完全に仕掛けが完全に遅れてしまう。ツルマルツヨシはそんな2頭を尻目に内をついて駆け抜け、後ろから猛追してきたブライト、オペラオーを振り切って先頭でゴール板を駆け抜けた。

同期の出世頭スペシャルウィークを含むGⅠ馬3頭を抑えての快勝であり、これから迎える秋のGⅠ戦線に大いに期待が膨らんだ。

そうして迎えた初めてのGⅠ「天皇賞(秋)」(東京 芝2000)。スペシャルウィークを抑え、同期二冠馬セイウンスカイに次ぐ堂々2番人気に推されたツルマルツヨシ。しかし中1ヶ月の重賞連勝で蓄積された疲労に加え、府中芝2000コースで最も不利な大外枠ということも有り、掲示板をはじめて逃す8着に終わってしまう。

ツヨシは元々無理のきかない馬。蓄積疲労を考慮してジャパンカップ等は狙わず、年末の有馬記念(中山 芝2500)に出走することにした。ツルマルツヨシは6番人気。

1番人気は史上初グランプリ3連覇のかかる同期グラスワンダー、2番人気は秋のGⅠ3連勝がかかるスペシャルウィーク、3番人気メジロブライト、4番人気がこの年の菊花賞を制したナリタトップロード、5番人気にテイエムオペラオー。更には同期の二冠牝馬ファレノプシスも出走(9番人気)していた。

ツルマルツヨシは道中中断待機から、最終コーナーで一気にスパート。素晴らしい手応えでグイグイと前に出て一気に先頭に立った。直線に入ってコース中央を先頭で駆け抜けるツルマルツヨシ。それを外からグラスワンダー、やや遅れてスペシャルウィークが上がり最速で末脚で追ってくる。更には菊花賞、ステイヤーズステークスと走ってお釣りがないはずのオペラオーまでもが信じられないような末脚で詰めてきた。

ツヨシは粘りに粘り込むが、その3頭に半馬身かわされての4着惜敗。それでも京都大賞典での快走がただの棚ぼた勝利ではなく、正真正銘の実力であったことを証明するには十分のレース内容だった。

事実、グラスワンダーの的場均騎手はスペシャルウィークに勝つため、最後の直線ギリギリまで溜めての末脚勝負しかないと決めていたにもかかわらず、しかしツルマルツヨシの行きっぷりの良さに焦りを覚え、大外からの仕掛けを予定よりも早めてしまったという。結果として最後まで末脚が予定よりも持たなくなり、スペシャルウィークとのハナ差決着になった。

ライバル達もターフを去り…

有馬記念で最強の2頭のによる大接戦を演出したツルマルツヨシ。主戦の藤田伸二騎手は「来年は敵なし」と豪語していたが、残念ながら快走の代償は大きかった。脚に骨瘤(こつりゅう、骨の一部がこぶ状に盛り上がる症状。こぶが神経や腱に触れると痛みを生じ、競走能力に影響を及ぼす)が出来てしまい、またまた長期休養を余儀なくされてしまったのだ。

レースへの復帰は10ヶ月後、2000年10月8日の京都大賞典。しかし、この年はテイエムオペラオーがまさに無双状態な上、ツヨシの状態は上がらず6着に敗れる。

そして年末の有馬記念。

ほぼすべての馬がテイエムオペラオーをマークする異様な状況でレースが進む中、中段を走っていたツルマルツヨシは3コーナーに差し掛かったところでズルズルと後退。最終コーナーではもはやマトモに走れる状況になく、テイエムオペラオーの伝説的な勝利の影でひっそりと競走を中止。左前脚繋靭帯断裂で競走能力喪失、無念の引退となった。

生涯戦績:11戦5勝(GⅡ1勝 GⅢ1勝)3着1回(GⅢ1回)

結局、GⅠでは複勝圏に入ることが出来なかった。

皇帝譲りの高い素質を持ちながら、体の弱さ故に思うような競走生活は送れなかった。

もしツルマルツヨシが丈夫だったなら、98世代のGⅠ戦線はもっと面白いものになっていただろう。

引退後

種牡馬入りはせず、美しい馬体を活かして2002年から京都競馬場の誘導馬となった。しかし、やはり脚元不安が原因で長く続けることは出来ず、2007年で誘導馬も引退。

「引退名馬けい養展示事業」(現「功労馬繋養展示事業」)の対象となり、乗馬クラブ「カウボーイアップランチ」(宮崎県宮崎市)に移った。

2011年に馬主の鶴田氏逝去によってしばらく馬主不在となっていたが、2012年に元担当厩務員の中西繁夫氏が「ツルマルツヨシの会」を立ち上げて馬主を継承。現在は「吉野牧場」(宮崎県綾町)で余生を過ごしている。

関連項目

競走馬

98世代:同期。日本競馬史最強世代論争の一角にもたびたび挙げられる強豪世代だが、ツルマルツヨシが故障がちで本格化が遅かったため、世代を代表するGⅠ馬たちとは99年京都大賞典以降のわずかなレースしか対戦経験がない。スペシャルウィークに1勝2敗、キングヘイローに0勝2敗、グラスワンダーセイウンスカイに0勝1敗。

むしろ前後の世代の方が、距離適性の都合からか対戦歴が多い馬がおり、ひとつ上(97世代)のメジロブライトには4勝0敗、ステイゴールドには2勝2敗。ひとつ下(99世代)のテイエムオペラオーには1勝3敗、ナリタトップロードには1勝2敗。

編集者:桜崎あかり
編集内容:誘導方式の調整