黄金バット
おうごんばっと
強い!絶対に強い! 我らが黄金バット!
概要
元になったのは昭和5年ごろの紙芝居に登場したキャラクターである。
『黒いマントを羽織った全身金色の髑髏』というシンプルながら強烈なデザインと、悪役然とした姿にも関わらず正義の味方というギャップのあるキャラクターは、当時の子供達に大うけし、多数の続編が(勝手に)制作された。現在でも紙芝居という文化を語る上で外せないモンスタータイトルとなっている。
歴史だけなら元祖スーパーヒーローのスーパーマンやバットマンよりも古い存在であり、月光仮面やウルトラマン、仮面ライダー等の和製スーパーヒーローのご先祖様とも言える。
アンチヒーロー的な要素も兼ね備えているため、様々なダークヒーローの元祖でもある。
映像化の歴史
初めて映像化されたのは1950年の事。新映画株式会社という映画製作会社の手によって制作されたものがそれであり、1951年のお正月映画として公開された。
この映画を配給した東京映画配給は、1951年4月に映画製作会社の太泉映画(東京都練馬区)および東横映画(京都市)と合併し、東映となっている。
1966年には太泉映画の後身的存在の東映東京撮影所の手によって再び映画化され、東映系の映画館で、1967年のお正月映画として公開された。
出演は千葉真一ほか。
さらに第一企画(後に旭通信社と対等合併、アサツーディ・ケイなどを経てADKホールディングスとなり現在に至る)の手によって(細かい事を言えばその一部門であった第一動画)テレビアニメ化された事がある。
1967年4月から1968年3月にかけて、よみうりテレビホスト・日本テレビ系列局(に加えてTBS系列局の一部)で放送された。
声の出演は小林修ほか。
ちなみに読売テレビが初めて制作ホスト局を務めたアニメ作品だったりする。そのうえ本作の後継作となったのが、あの「巨人の星」である。
キャラクターとしての黄金バット
黄金バットのデザインやキャラクター像は登場作品によってまちまちであるが、一貫して『不気味な高笑いと共に現れる金色髑髏の正義の味方』『心優しい少女の声に応えて悪と戦う』『宿敵は四つ目の覆面に機械の左手を持つ下半身が円盤の怪人ナゾー』というコードは共通している。
紙芝居
元になった紙芝居作品では、昭和初期の頃は著作権意識が乏しかったこともあり、勝手に続編やグッズが製作され、様々な黄金バットが乱立していた。また終戦直後はGHQの検閲により、ビジュアルが白人に変更された事もあったが不評なため占領軍が撤退すると即座に戻されたという。
黄金バットの初登場は、前身となる紙芝居作品『黒バット』。
この作品の主人公である黒バット神出鬼没の大怪盗である。髑髏姿でマントをまとった姿は後の黄金バットを彷彿とさせる。黒バットは怪人二十面相のモデルであるジゴマから着想を得たキャラクターであり、物語としては探偵側のキャラクターである少年探偵・正夫がいつかはこの怪盗をやっつけることが期待されていた。
しかし、最終回において黒バットそっくりの謎の正義の味方・黄金バットが何の伏線もなく唐突に現れ、不死身とされていた黒バットを謎の神秘の力で倒してしまう(理屈は解説されない)。この展開はいわゆるデウス・エクス・マキナそのものであり、それまでに黒バットを大物と描きすぎたせいで少年探偵側を勝利させる展開が思いつかなかったための苦肉の策だと推測されるのだが、当時の子供たちは大悪党の黒バットを倒した謎の怪傑・黄金バットの存在感に魅入られたため、黄金バットを主人公とした独立したシリーズが作られることになったのである。
紙芝居版はこの様な黄金バット像であった。
紙芝居版黄金バットのエピソードは資料として取り上げられる際は、話の日本社(原作・作画担当が設立した)から出た『黄金バット 怪タンク出現』が多い。
能力
黄金バットの強さを端的に表す言葉として、ナレーター(藤本譲)が頻繁に口にする『強い!絶対に強い!』がある。
空を自在に飛び回り、銃で撃たれても無傷、シルバーバトン(杖)で怪獣叩ききったり、ビームや念力のようなパワーを出すなど 理不尽と言っていいほど強い。
その能力についてはこちら
他のキャラクターに比べると黄金バットは極端に台詞が少なく、正義のヒーローというより『デウス・エクス・マキナ』的存在であり、作品は黄金バットの理不尽な強さで成立しているようなものである。