概要
石原慎太郎は、日本の政治家、作家元東京都知事 (第14・15・16・17代) 。自民党→太陽の党(元たちあがれ日本)→日本維新の会を経て次世代の党代表。
俳優の石原裕次郎(故人)を実弟にもつ。石原伸晃、石原良純、石原宏高、石原延啓は息子で、このうち伸晃・宏高は自らも政治家となった。
デビュー作の「太陽の季節」が芥川賞を受賞し、映画化もされる。作家としては代表作にあるように奔放な若者のインモラルな生き様を描く等物議をかもした。(「太陽の季節」は賛否両論で物議を醸し、「太陽族」なる若者も出てきた。)
また、「スパルタ教育」という教育論を執筆して奨励したのも彼である。
1968年に参議院議員として初当選し政治家転身。以後運輸大臣等閣僚も経験するが、1999年より東京都知事として就任、ディーゼル車の規制や尖閣諸島国有化に繋がる発言をするなど、都政だけでなく国政にも大きな影響を与えた。中でも首都圏全域を巻き込んだディーゼル車排ガス規制は、規制不適合となった都営バス車両の早期廃車・解体(原則、他社譲渡も禁止)、DPF(粒子状物質減少装置)の装着義務化、新長期規制の制定など、国や自動車メーカーを動かす事となる。
「たちあがれ日本」のメンバーとともに新党を結成し次の衆議院議員選挙に出馬する意向を示し、「太陽の党」を結成したもののすぐ日本維新の会に合流し、同選挙で当選し国政に復帰した。
そして2014年6月26日に「次世代の党」を結成し、最高顧問に就任。同年12月の衆議院選挙に臨むも党の状況は厳しく、石原自身も82歳という高齢に加えて前年に脳梗塞を患う等体調が既に万全でないこともあり既に引退を視野にいれていたこともあり、比例のみでの出馬にも関わらず自らの比例名簿順位を下にしていた。そして12月14日、次世代の党は大敗北を喫し石原自身も議席を失ったことで12月16日に政界引退を表明した。
晩年は表舞台に出ることも減り、死去直前まで作家としての活動に勤しんでいたという。
2022年2月1日、89歳で死去。死因は膵臓癌とされており、死去前年の10月に再発していたことを長男の石原伸晃が会見の場で明かしている。尚、遺骨の一部は遺言に従い湘南の海に散骨された。
余談
- 非常にアクが強く過激な発言やタカ派な政治思想という面から、好き嫌いが別れる人物として知られる。マスコミからは「暴走老人」などと呼ばれていたが、本人もこの二つ名を気に入ってよく使っていた。
- 漫画・アニメ方面では、東京都青少年健全育成条例などの関係で、pixivなどネット上での反発が根強く、アンチも多い(珍太郎などの記事などに詳しい)が、対立候補の弱さや支持基盤の強さ等も手伝い選挙には強かった。
- 本人曰く、三島由紀夫は友人と言っているが、当の三島本人は否認していた。立川談志とは、友人関係ではある。
- あの麻原彰晃が尊敬する人でもある。オウム真理教が宗教法人になるきっかけを作った経緯もあり、四男の延啓が一時期オウムの幹部であった。
- ラグビー選手に、同名の選手が実在する。