概要
”ブラック義時”とは、『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時につけられたあだ名である。
権力への野心もなく、家族と穏やかな暮らしを続けていた義時は、姉・政子が平治の乱で敗れた源義朝の三男・頼朝と結ばれたことにより父・時政、兄・宗時らと挙兵、上総広常、三浦義澄・義村親子、梶原景時、畠山重忠、和田義盛などの有力武将、頼朝の異母弟・範頼、義経も加わり、平家打倒の兵を進めた。
石橋山の戦いで敗れた兄・宗時の死後、鎌倉に拠点を定めた頼朝に義時に仕え、頼朝と謀臣・大江広元の立案した上総広常謀殺に一時は反対するも消極的に関与、権力中枢にも深くかかわっていく。
変貌していく義時
-第5回「兄との約束」
石橋山の戦いで敗れた宗時は頼朝の命を受けて観音像を取りに伊豆へともぐりこみ、二度と帰ってくることはなかった。
出発直前、宗時は弟・義時に「源氏とか平家とかどうでもいいんだ。坂東武者の世を作り、そのてっぺんに北条が立つ」との野望を告げ、田舎の青年を権力欲の権化に変えていく原動力となった。
- 第15回「足固めの儀式」
鎌倉を治める頼朝に対する不満が坂東武者の間で広がる。
事態を察知した頼朝は謀臣・大江広元と語らい、無実の上総広常を謀反の総大将に仕立て上げたうえで見せしめとして誅殺する計画を義時に伝える。
義時は涙ながらに反対し、謀略を正当化するため親友・義村に何とか止められないか相談するが、
義村は冷たく「おまえ、だんだん頼朝に似てきたぞ」と言われて返すこともできず、広常も御家人たちが見守るなか景時に斬殺されてしまった。
-第17回「助命と宿命」
義経から木曽義仲を討ち果たしたとの知らせが鎌倉に届く。
一方・甲斐武田の当主・信義は義仲の遺児・義高を買いに迎えて範・頼朝の兵を挙げることを画策、しかし、それらの策謀は頼朝に漏れたため、義高は討たれ、信義の嫡男・一条忠頼も頼朝に招かれたうえで討ち取られて、武田家に対する警告と信義は義時に告げられる。
-第20回「帰ってきた義経」
奥州藤原氏に身を寄せた義経を藤原泰衡に討たせることを命じられた義時は、景時から善児を従者として借りたうえで「義経を討たねば、鎌倉と戦になりますぞ」と恫喝、思惑どおり泰衡に義経を討たせることに成功する。
- 第23回「狩りと獲物」
頼朝の身代わりとして寝所で休んでいた有力御家人・工藤祐経が曽我兄弟に討たれる。
曽我兄弟の狙いが頼朝の治政に不満をもったクーデターであることと、父・時政が事件に関与していないことを知った義時は、頼朝とまちがって工藤祐経を討った事件を曽我兄弟による仇討ちにすり替え、末代まで語り継ぐ美談へと変えてしまった。
- 第27回『鎌倉殿と十三人」
初代鎌倉殿・源頼朝の死から半年、幕政は頼家の政治能力の未熟さもあって頼家の祖父・北条時政と、頼家の正室・せつの父・比企能員の対立が深まりつつあった。
このことを憂えた義時と景時は、大江広元ら五人の文官と景時が裁判を担当し、頼家から裁可を得る方策を思いつくが、対立する時政と能員の介入により十三人に膨らんでしまった。
-第31回「諦めの悪い男」
梶原一族が滅亡し謀反の罪で阿野全成が討たれた後、二代鎌倉殿・源頼家が意識不明の重病に倒れる。頼家の後継をめぐる時政と能員の対立は収まらず、時政は比企一遺族を滅ぼすことを決意する。
自邸に招いた能員を討った後、北条軍は比企邸を襲うが、このとき義時は長男・泰時にせつの子でもある頼家の長男・一幡を殺すよう命じる。
-32回「災いの種」
比企一族滅亡後、頼家が目を覚まし、「長男・一幡に会いたい」と時政、義時らに伝える。
朝廷には「源頼家死去」を報告しており、比企一族ももう亡いことから時政・義時親子ら北条一族、大江広元も気まずい表情のまま顔を見合わせる。
困惑する義時に、泰時は「(一幡様は)生きておいでです。不幸中の幸いじゃないですか」と善児の隠れ家に匿っていることを報告、が、義時は「一幡様は亡くなっておられる」と無視し、善児とトウに一幡の殺害を命じる。
- 第33回「修善寺」
比企一族と長男・一幡を北条一族に殺害された頼家は幽閉された修善寺から北条氏追悼の命令書を各地に送りつづけるが、だれも北条氏打倒に動こうとはしない。
孫を殺すことにためらいつつも時政はこれらの動きを無視するができず、大江広元も鎌倉のため頼家を討つことを主張、義時は善児とトウを刺客に派遣する。
刺客の来襲を予期していた頼家は善児とトウを迎え撃つが深手を負い、トウにとどめを刺される。
- 第35回「苦い盃」
京で時政・りく夫妻の子であり、政子・義時・時房の弟である政範が変死する。
義時はりくの娘婿・平賀朝雅が朝廷の命を受けて毒殺したと考えたが、りくは畠山重忠の長男・重保が殺害したと考え逆上、時政に畠山一族を討つことを迫った。
- 第36回「武士の鑑」
挙兵に追い込まれた畠山重忠の兵百余騎を幕府軍2万が包囲、重忠軍は逃亡せずに壊滅する。
少数の兵で幕府軍と戦った畠山重忠の謀反の嫌疑は晴れ、義時は幕政の実権を握った父・時政に重忠の首を見るよう迫り、拒まれたことで父を見限る。
- 第38回「時を継ぐ者」
自邸に三代鎌倉殿・源実朝を監禁し、鎌倉殿を平賀朝雅に譲ることを強要する時政。
時政邸を囲む義時、八田知家らはいつ踏みこむかを考えるが、成功の目算が立たないことを悟った時政は実朝を和田義盛に託して解放、身柄を幕府軍に拘束された。
事件を起こした時政の死罪を義時は覚悟したが、政子・実朝親子の嘆願と文官たちの裁定により罪一等を減じられて出家、伊豆に追放となった。
その一方で、時政をそそのかしたりくにはトウが刺客に送られ(義村に邪魔され失敗)、政範を殺害した平賀朝雅には追討軍が送られ、朝雅は殺害された。
事件後、義時は幕府の実権を握り、黒ずくめの直垂を身につけるようになった。
- 第40回「罠と罠」第41回「義盛、おまえに罪はない」
坂東武者最後の生き残りとなった侍所別当・和田義盛。
厚い人望と武力は侮れず、鎌倉殿・源実朝とのつながりは政所別当を勤める義時の脅威となった。
義時と義盛が対決することを望まない実朝は何とか両者を和解させようとするが、鎌倉政庁に勤めるものが誰も知らない謎の御家人・泉親衡が和田一族を扇動、叛乱寸前に追い込まれてしまう。
この一件では義盛が義時に頭を下げて息子の義直、義重は不問に付されるが、甥・胤長は縄目の辱めを受けたうえで屋敷を没収されてしまった。
不穏な空気が流れるなか、鎌倉を戦場として幕府軍は和田一族を追いつめ、実朝を陣頭に立たせる。
幕府軍と和田一族がにらみ合うなか、実朝は「義盛、おまえに罪はない」と語りかけるが、その瞬間、義盛は義時の罠にはまり全身に矢を射かけられてしまった。
- 第44回「審判の日」第45回「八幡宮の日」
有力御家人・三浦義村は源頼家の遺児・公暁に父が北条時政・義時親子に討たれた経緯を教え、公暁に実朝と義時に対する憎悪を殺意に変えさせ、右大臣昇進を祝う鶴岡八幡宮拝賀の日に謀反を起こすことを計画する。
公暁に謀反の計画があることに気づいた義時は義村に会い、義村のウソをつくときの癖から計画が真実であることを悟る。
一方、侍所別当・和田義盛が義時の罠にかかって惨殺されたのち、実朝は朝廷への傾斜を深める。
自身に世継ぎができないことを悟った実朝は朝廷から後鳥羽上皇の皇子・頼仁親王を次期鎌倉殿に迎え、京に幕府政庁を遷す構想を義時に伝える。
実朝の父でもある初代鎌倉殿・源頼朝がなぜ鎌倉に武士の都を作り、朝廷からの干渉を拒んだことを理解していない実朝に絶望した義時は、あえて公暁に実朝を討たせたのち、公暁を討ち果たし源氏を滅ぼすことを決意する。
義村もまた義時に感づかれていることに気づき計画を中止するが、公暁は義時に黙認されているとも知らずに人違いで源仲章を討ったうえで実朝を殺害、口封じとして義村に殺害されてしまった。
事件後、義時の長男・泰時は、父親が公暁に主君を殺されたことを悟り、父親に対する対抗姿勢を見せるようなった。
大倉観音堂に仏師・運慶を訪ねた義時は、自身に似せた仏像を作るよう依頼、北条ではなく自身が武士の頂点に立つこと、神に近い存在に立つ野望を口にした。