概要
伊藤雄二(1937年1月14日~2022年8月17日 )
関西を代表する調教師で、名伯楽として知られ、牧場を回っては優秀な幼駒を発掘した。
20歳台で調教師になった事もあり、通算1153勝(GⅠ 13勝)を挙げた。
2014年JRA殿堂入り。
娘の淑(現在は笹田淑)はJRA初の女性調教助手。
娘婿の笹田和秀は栗東トレーニングセンター所属の調教師。
来歴
出生名・木下 雄二(きのした ゆうじ)。父は馬場馬術で活躍した木下芳雄。幼い頃から馬と親しみ、高校時代には馬術の全国大会にも出場した。
父親に押し切られる形で伊藤正四郎厩舎の見習い騎手となり、1959年に騎手デビュー。平地・障害双方で活動し、騎手として計72勝を掲げた。
翌年の1960年、伊藤家に婿入りして「伊藤雄二」に改名するが、正四郎が結核により急死。
厩舎解散後は坪重兵衛厩舎に移籍して騎手生活を続けていたが、体重管理が厳しくなってきた事もあり若くして調教師に転向。亡き舅の跡を継いだ。
1966年、阪神競馬場にて自らの厩舎を開業(1969年より栗東トレーニングセンターに移動)。
1968年、デヤレストで阪神障害ステークス(春)を勝利し、障害重賞初制覇。
1977年、ハードバージで皐月賞を勝利し、平地GⅠ/重賞初制覇。
2007年を以て定年により引退するまで、マックスビューティ・シャダイカグラ・スカーレットブーケ・ダイイチルビー・ワコーチカコ・エアグルーヴ・ファインモーション・エアメサイアなど数々の名牝、牡馬でもウイニングチケット・ロイヤルタッチ兄弟、マチカネタンホイザ、メイショウビトリア、エアダブリン、エアエミネムなどを手がけ、相馬眼に優れた人物として知られた。
引退後も競馬番組にゲスト出演したり、競馬紙にコラムや評論を書き下ろすなど精力的に競馬に携り、2014年には調教師時代の実績が称えられ、殿堂入りを果たした。
エアグルーヴはじめ伊藤厩舎の管理馬たちに多く騎乗した武豊騎手、短期免許で来日していた際に伊藤厩舎の管理馬に騎乗していたミルコ・デムーロ騎手、マックスビューティーの主戦であった田原成貴元騎手、ウイニングチケットの主戦であった柴田政人元騎手、伊藤厩舎管理馬のライバルである名馬を数多く手掛けてきた藤沢和雄元調教師はじめ数々の競馬関係者が、その死を悼むコメントを発表した。
伊藤が死去した週に開催された北九州記念では、伊藤厩舎の元従業員が多数勤務している梅田智之厩舎に所属しているボンボヤージが16番人気にして重賞初勝利を飾った。
また、同日に開催された札幌記念でも、伊藤厩舎で調教助手として在籍した経歴を持つ藤岡健一調教師が管理するジャックドールが勝利。
梅田調教師はこの結果について「伊藤先生が天国から後押ししてくれたのかもしれない」と語るなど、その感動的な結果に対し、一部の競馬ファンからは大きな反響を呼んだ。