概要
広義的には“闘争”および“法律”において、攻撃や懲罰こそ加えたとしてもその後の反省あるいは対話を見越し、それによる平和的な解決のために相手を殺してはいけないという思想を指す。
狭義の意味で言えば主にバトル物、戦争物の創作における主人公を含めた特定のキャラクターの信念ないし思想のひとつとして定義されており、戦闘で敵を痛めつけても追い払うか気を失わせるだけに留めたり、敵の武器を奪うか壊すかして無力化するだけだったり、とりあえず逃げられないようにして後は警察か司法などに任せるといった、戦いに勝ってもその相手の命まで取らずに物事を解決するような姿勢がこう言われる。
どんな形であれ“殺人”という一般的には業深い手段に対して、それを忌避(きひ)させることでそのキャラが現実的な倫理観、価値観を持っている“まともな正義のヒーローである”ということを表現するために設定されることが多い。
しかし、その“不殺”が単純な倫理観か確たる信念に基づくものだったとしても、戦争を扱った作品で個人的な感情で敵兵を殺さず見逃し続けるのは「その見逃した敵兵が後で自分の味方を殺すかもしれないのに」や、実際だったら死刑でもおかしくないような悪事を働いておきながら法では裁けない悪党まで助けることに対しては「甘すぎる」と言われたりと、その作品の鑑賞者のあいだでも賛否両論になりがちであり、作品のなかには実際にそのキャラクターの思想の是非が問われる場面があったりすることもある。
ただし、不殺を批判する人間の中には、不殺を行う者に対する幼稚な僻みややっかみといった真っ当とは程遠い動機から、不殺そのものを「偽善」だの「悪」だのと定義している者も多く、ましてやその中に本当に命懸けで戦っている者が含まれている可能性などたかが知れていると思われる為、不殺を信念とする者を上から目線で批判する側の主張に一貫して正当性がある訳でもない事実も留意すべきである。
状況的には相手を殺すのも止むを得ない時があるのは確かだが、だからと言って基本的に殺人は決して許される行為では無く、「相手が悪人なら殺しても別に良いじゃないか」と言う主張や考えは、それこそ身勝手な屁理屈で繕った免罪符以外の何物でも無いのである。
隆慶一郎は、とある短編にて、「カタワにして身も心も苦しく生きる様を見ていたい外道畜生の心根が為せる技」と表現している。
ちなみに、正義観が一般的な倫理に沿わない、いわゆるダークヒーローやアンチヒーローのようなタイプでは、その相手に対して命こそ取らないが重体一歩手前まで手ひどく痛めつけたり、場合によっては死ぬよりもひどい状態に陥らせてしまうというパターンも見受けられる。
また、なかにはそのキャラクターは別に不殺を掲げておらずむしろ殺意を持って戦っているが、作品よってはメタ的な事情で“そのキャラに殺人なんてさせるわけにはいかない”という理由から、展開の都合上として結果的に相手を殺さずに済んでいるだけというケースや、その相手が死ぬ要因は別にあるというケースも存在している。
不殺キャラが不殺をせずに敵を始末する主な方法
- ほかのキャラクターに始末してもらう。
- 敵が勝手に自滅する。
- モンスターや動物に始末してもらう。(オンラインゲーム系などで多用)
主な不殺キャラクターたち
- アクセル=ロウ(ギルティギア)
- アンパンマン(それいけ!アンパンマン)
- キオ・アスノ(機動戦士ガンダムAGE)
- キラ・ヤマト(機動戦士ガンダムSEED)
- 月光仮面(月光仮面)
- 台場巽(ALCBANE)
- 楯雁人(闇のイージス)
- 中村巧之介(名探偵夢水清志郎事件ノート)
- 錦木千束(リコリス・リコイル)
- バットマン(バットマン)
- 土方護(死がふたりを分かつまで)
- 緋村剣心(るろうに剣心)
- うずまきナルト(NARUTO)←不殺を掲げているわけではないが、作中では十尾の分身体や白ゼツや映画を含むアニオリでの戦闘などを除き、基本的に直接生きた人間を殺害したことはない。ペイン六道は動く死体であり、角都ははたけカカシが止めを刺した。
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