ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

小田急7000形の編集履歴

2024-01-10 19:49:22 バージョン

小田急7000形

おだきゅうななせんがた

かつて小田急電鉄が運用してきた特急形車両「ロマンスカー」の1形式。

概要

箱根方面への特急ロマンスカーに使用されていた3000形(初代)「SE」の置き換えと、不足だったロマンスカーの本数を増やすことを当初の目的として1980年に登場。それまでの特急ロマンスカーのイメージを尊重しつつ斬新さを追求し、居住性や機能性の向上を図った。"Luxury Super Express"(略して「LSE」)という愛称がある。

1981年には鉄道友の会よりブルーリボン賞が授与。

1982年には第2編成が国鉄に貸し出され、東海道本線での試運転に使用された。その理由は、新型の特急車両の開発するにあたり、ボギー車との乗り心地などのデータを比較するため(比較対象となったのは183系)で、当時国鉄には連接車がなかったためである。


80年の12月から83年の12月までに毎年1編成が製造され、合計11両連接車4本となった。また、HISE車以降のロマンスカーはすべて独自の塗装となったため、バーミリオン&グレー&ホワイトというロマンスカーの伝統ともいえるカラーリングを纏った車両は歴代3代目となった本形式が最後となった。


11両編成ということもあって長らく先代のNSE車と共通運用を組まれ、NSE引退後は2012年までHISE車と共通運用となっていた。そのため、2形式では時刻表の編成表はLSE車、乗車位置のマークにはHISEが使われていた。


リニューアル

1996年から1998年にかけて、製造元の日本車輌で全編成のリニューアル兼車体修理工事が実施された。一部の機器が更新され、3号車と8号車のドア幅を拡張するなどのバリアフリーへも対応することとなった。


2000年にNSE車が引退しHISE車と共通運用となると、早くもロマンスカーの最古参となり、またバーミリオンを纏ったことのある最後の車両となる。


2005年には、パンタグラフがシングルアーム式の物に変更された。



一部編成と廃車

2010年の1月には、HISE車と共に台車に亀裂が見つかり、全車が運用離脱する事態となったが、点検と調査後の4月に運用に復帰している。なお、この時期になると製造から30年近くが経過したために老朽化も始まっており、この不具合とは無関係のまま上記の試験で使われた第2編成が廃車されている。


2012年には第1編成が廃車となった。以降のLSEは第3、第4編成の2編成体制となり、共通運用ではなく相方のいない単独での運用がメインとなり、上記の時刻表や乗車位置も専用のものとなった。

また、この時期に、2編成ともD-ATS-Pの設置工事が行われ、座席数が少し減っている。


引退

老朽化が深刻化していたこともあり、2016年10月に70000形「GSE」の製造が発表され、事実上の余命宣告を受ける。2018年3月にGSEのデビューと同時に第3編成が運用離脱、残った第4編成も7月に定期運用を終えることが5月に発表され、7月10日のホームウェイ83号片瀬江ノ島行きをもって定期運用を終了。

以降はM78星雲号などの臨時列車に利用された後、10月13日のラストランを以て完全に引退。途中8年間途絶えた時期があったとはいえ、初代から60年以上続いた伝統カラーの車両も完全に消滅した。第4編成は12月に全車解体となった。

一方、第3編成の新宿方先頭車がロマンスカーミュージアムに保存されている。また、小田原方先頭車の運転席が同ミュージアムのシミュレーターに利用されている。


長期的な活躍の理由

2012年には後輩の10000形、20000形が引退しているが、本形式は前者より7年、後者よりも11年古いにもかかわらず2018年まで活躍した。

これは設計時点で21世紀にも通用する長期的な活躍ができるように製造されたことと、時流の変化期に更新時期を迎えリニューアルを受けたことで時流に乗ることができたためである。

90年代から叫ばれるようになったバリアフリーに10000形と20000形はハイデッカー構造故に対応できず、更新することなく早期廃車となったが、本形式は更新の邪魔となるような要素を持たなかった結果更新を受けることができたこと、そのリニューアルによってバリアフリー対応車となったことで生き残ることができたのである。


LSEから3年後にデビューした8000形も同じように長期的な活躍を見越した構造でデビューし、リニューアルも大規模であったことからHISE、RSE、VSEと多くの後輩車両の誕生から引退までを見守り、これら車両の引退後も活躍、長生きすることとなった。


これら一連は、たとえ古くても時流に乗れば生き残る可能性が上がることと、独自のスタイルを持っていても時流にある程度乗らなければたとえ古くなくても生き残れないということを痛感させる出来事にもなった。


また、結果的にロマンスカーの中で最長の活躍期間となったが、当初はNSEやHISE車と共通運用であり、そのNSEの正常進化版でありなおかつHISEのような特徴がなかったこと下記の塗装変更などもあって20年以上は目立つ存在ではなかった。しかしHISEらの引退や旧塗装への変更で晩年は大いに注目され、人気を得ていた。このため小田急の中でも遅咲きの存在ではあるものの現在も高い人気を誇り、引退から5年が経った2023年11月に新百合ヶ丘駅で行われた、引退、現役問わず歴代全ての車両が対象となったロマンスカー総選挙でも第2位に輝いている。


新塗装時代

上記のリニューアル時に、外部の塗装は後に登場していた10000形「HiSE」に合わせたものへ変更された。その理由として、当時NSE車の置き換えが始まり数年後には完全引退することが決まっており旧塗装編成がHISEと変わらない編成数となること、さらには当時のロマンスカーが展望席車で共通運用のLSE/HiSE、御殿場線直通のRSE、通勤重視のEXEだったことで、展望席車のイメージ統一を狙ったことが上げられる。これにより、赤い車両=展望席車、水色の車両=御殿場線用、ブロンズ色=通勤用のイメージ統一には成功する。


小田急ロマンスカー7000形「LSE」

(画像の人物は関係ありません)


しかし、NSE引退後にロマンスカーのイメージ的な色が消えたこともあってか新塗装の評判は悪く、さらにHISE車はハイデッカーという観光面での特色が強かったこともあって無個性化が進んでしまう。


その後2007年に初代3000形の登場50周年を記念して第4編成のみが旧塗装に復元される。多少は95年までの姿と異なる部分もあったものの、これが功を奏し、LSEにも徐々にスポットライトが当たるようになっていくが、それと同時に旧塗装以外の編成はハズレ扱いされるようになっていく。そして、小田急側にも「旧塗装に乗りたい」という要望が相次ぐようになっていったという。なお、復刻は1年限定の予定だったあ、好評によりその後もこの編成は引退まで旧塗装のままとなった。結果論だが、これがLSEのその後の命運を分けたこととなった。


結局、この影響もあってか、2012年1月時点では新塗装車が第1、第3編成、第4編成が旧塗装という状態であったが、新塗装車2編成は第1編成を廃車し、第3編成は旧塗装に復帰した。

そして2月には第1編成が廃車解体、第3編成が旧塗装へ復帰し、新塗装車は同年3月に引退したHISERSE5000形とともに消滅した。共通運用のイメージ統一を狙った塗装変更だったが、相方のHiSE車が先代の本形式よりも早く引退しLSEも単独運用となったために新塗装である意味もなくなってしまい、17年という比較的短い期間の塗装、および活躍期間となった。



幻の御殿場線直通編成

御殿場線直通の連絡急行「あさぎり」(後の特急あさぎり→現・特急ふじさん)で使用された3000形(初代)の置き換えに、本形式の短編成タイプが作られる予定であったが、諸事情で頓挫し3000形を更に延命する事になり、3000形はその後10年以上活躍した。


関連項目

小田急電鉄 特急 ロマンスカー 展望車 連接車 7000形


小田急3000形 小田急3100形 小田急10000形 20000形 30000形 50000形 60000形 70000形


185系:1981年3月にデビューした同期的存在。当初は地味な存在だったが後輩車両の引退や汎用性の高さから長寿を誇り、晩年には貴重な古き車両として人気を博した遅咲き型、90年代中盤にリニューアルされた、全車新塗装となったが結局2010年代に全て残存車は旧塗装へ復帰したなど、共通点が多い。両車は藤沢駅小田原駅で顔を合わせる機会が存在した。また、貸出試験時に東海道線で並んだこともある。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました