概要
海外ではレクサスブランドに編入されており、ISの車名が与えられていた。ちなみにISには4気筒エンジンを搭載するスポーツモデルは設定されず2000ccと3000ccの直列6気筒モデルのみの設定である。
FR駆動のスポーツセダンとして登場。
グレードは高級志向のAS200とスポーツ志向のRS200が用意された。
しかし、どちらも排気量2000ccでありながらAS200は6気筒、RS200は4気筒であり、気筒数の少ない方がスポーツ志向という、当時の常識とは逆の現象が起こっていた。
グレードはRS200とAS200にそれぞれ標準車と上級グレード「Zエディション」が設定され、RS200標準車のMT車とそれぞれのZエディションには当時珍しかった17インチホイールと大径ディスクブレーキが標準装備されていた。このブレーキはアリストと同等あるいはそれ以上の性能のものが装備されており、当時のアセスメント試験で最高評価を得ている。
腕時計をモデルにしたクロノグラフメーターも斬新で、本車のアイコンの一つとなっている。
他にも、量産車初のクリアテールや、球体型の金属製シフトノブ(マイナーチェンジで革製に変更)といった特徴的な装備を有した。また今では当たり前となった6速MTも、当時はスープラやNSXといったフラッグシップスポーツカーが主に採用しており、このクラスの車に搭載されるのは珍しい装備であった。
元々はもっと軽量コンパクトになる予定だったが、開発途中で同時期に開発中だったCセグメントのラグジュアリースポーティセダンとプロジェクトが1本化。欧州や北米市場でBMW(3シリーズ)やメルセデス・ベンツ(Cクラス)の対抗馬となることも要求されたことから高級路線に方向転換し、プログレのシャーシをベースに用いて肥大化した経緯がある。
そのため当時日本よりも高い基準を設定していた欧州や北米の衝突安全基準に適合させる必要に迫られ、車重が1300kgを越える結果に。当時の国産車ではトップクラスの車体剛性を得たのと引き換えに、車格の割に重くなってしまった。
エンジンはRS200系が当時のトヨタのスポーツエンジンの代表格であった名機・3S-GE型、AS200系が歴代クラウンやマークIIに搭載されてきたこれまた名機・1G-FE型である。
RS200に搭載された3S-GEのカタログスペックは210馬力(6MT車)と、当時の2リッターNAエンジンの中では最も高出力だったものの、いかんせん基礎設計の古さは隠しきれず、低速トルクの薄さや振動の面で弱点を抱えていた。また3S-GEエンジンは当たりはずれが激しく、馬力測定の結果カタログ値に近い馬力を出す個体から160馬力を割り込む個体までさまざまであった。
さらに前期型のMT車はファイナルが4.1に設定されていたこともあり、車重の問題も相まって加速性能は今一つであった。ちなみに当時のゼロヨンタイムは14秒8を記録しており、これはDC2型インテグラタイプRに匹敵するもので、装備や車重の差を考えれば十分「速い」といえる数値ではある。
一方のAS200系に搭載された1G-FEも、回転のスムーズさやフィーリングの上質感は高い評価を受けていたものの、元来スポーツを念頭に開発されたエンジンでは無いためピークパワー感に乏しかった。(とはいえ2リッターで160馬力の出力は当時としては高出力な部類に入り、R34型スカイラインGTに搭載されていたRB20DE(しかもこちらはハイオク仕様)よりも高性能であった。)
発表当時は「AE86の再来」などと雑誌でもてはやされ、RS200は若者に人気を博した。
ただし先述の通り車重に対してパワーが不足していたことからターボチューンが定番化。
トムスからはターボ仕様のコンプリートカー「280T」が台数限定で発売された。
結果的にスポーツモデルとしては早々に失速、以降はマイナーチェンジごとに高級路線の強化が目立つようになり、コンパクトなFRスポーティーセダンとしての評価を高めていくこととなる。
2000年5月に行われたマイナーチェンジで、これまでRS200系の専売特許だった6速MTが、4速ATのみの設定だったAS200系にも市場の要望にこたえる形で追加設定された。当時の試乗記事で最も高く評価されていたのがスポーツ志向のRS200ではなく、高級志向であるAS200の6速MT車だったことも、この車の性格を端的に表していると言えるだろう。
また、本革とエクセーヌ(アルカンターラ)表皮のパワーシートや専用17インチホイールなど、海外仕様車(レクサスIS)とほぼ同等の装備を採用した最上位グレード「Lエディション」も同時に設定(LはLEXUSの意)。同時期の上級車種だったマークⅡ三兄弟を超える高級装備が奢られており、トヨタの販売戦略変更を感じることができる。
2001年にはマイナーチェンジが施され、後期型へ移行。ファイナルギア比が4.1から4.3へ下げられたほかステアリングからサスペンションに至るまで、細かい再チューニングが施されたが、「スポーツカー」としての再認知を得るには至らなかった。また、すでにこの時期には販売の中心はRS200からAS200へと変わっており、同時期に生産終了となったチェイサーからの乗り換え需要を満たすべく、17インチタイヤを15インチタイヤへ変更し、専用内装や専用ヘッドランプなどを装備した、Lエディションに次ぐラグジュアリーグレード「Wiseセレクション」も追加された。
同年にはステーションワゴン版のアルテッツァジータが登場。
こちらはセダンと共通の1G-FEエンジン搭載のAS200に加え、RS200に代わって3リッター直列6気筒エンジン(2JZ-GE)搭載のAS300が設定された。海外仕様のレクサスISには、セダンと2JZ-GEエンジンの組み合わせもあり国内導入も熱望されたが、ついに設定されることは無かった。
2005年に生産終了。これによりトヨタのラインナップからCセグメント級FRスポーツカーが消滅。この後セリカ、MR-Sが相次いで生産を終了したことからトヨタからスポーツカーが姿を消し、トヨタ製スポーツカー暗黒の時代が幕を開ける。
FRスポーツの系譜は、2012年のトヨタ86登場まで途切れることになった。
2005年にレクサスブランドが国内展開されたことにより発売された二代目ISが後継車種である。
モータースポーツ
現役時代は本車を用いたワンメイクレース「ネッツカップアルテッツァレース」が開催されており、アマチュアからプロまで幅広いドライバーが参戦した。
このレースで成績を残し、後にスーパー耐久などにステップアップしたドライバーも居る。
谷口信輝はその代表例で、アルテッツァレースでモータースポーツデビューし、後に国内最高のツーリングカーレースであるSUPERGTにまで上り詰めた。
そのスーパー耐久でも活躍した他、海外ではニュルブルクリンク24時間レースに出走した実績もある。
2007年には、トヨタの社内チームである「Team GAZOO」が中古車のアルテッツァ2台で参戦し、どちらも完走。当時副社長だった豊田章男も自らステアリングを握った。
この成功を機にトヨタはニュルブルクリンクでのスポーツカー開発を本格化し、後のTOYOTA_GAZOO_Racing発足へと繋がってゆく。
余談
- 本車の6速MTはアイシン製の汎用品で、日産のS15シルビアと同じものである。S15でも問題になった通り、このミッションは強度が低く、スポーツ走行時にブローが多発した。先述のワンメイクレースでもブローする事があり、上位陣はスペアミッションを何基も用意していたという。ちなみにこのトランスミッションは様々な改良を施された上でGR86にも搭載されるなど、結果的には息の長いトランスミッションとなった。
- 発売当初はFRということでドリフトを試みるユーザーが多かったが、上記の通り駆動系の弱さ・重い車重・パワー不足と、ドリフトに不向きな性格であることが発覚。雑誌やビデオのインプレッションでもプロドライバーから同様の指摘をされており、ドリフト方面でイメージを確立することはなかった。ただし、突出したスペックを持たないが故に「FR車の基本を覚えるのに最適な一台」と評されることがあり、プロドライバーが中古車を買い求めて乗るという話も多い。
- RS200に搭載された3S-GE型エンジンは横置きに特化した設計だったため、縦置きであるアルテッツァへの流用に当たり大幅な設計変更を施している。また、長い歴史を持つ同エンジンが搭載された最後発の車種であった。
- 先述の谷口信輝は何かとアルテッツァに縁があり、ワンメイクレースの他、スーパー耐久、マカオグランプリ、D1グランプリでそれぞれアルテッツアを駆った実績がある。
- …とこのように、決して発売当初からスポーツカーとして評価が高い車だった訳ではなかったが、コンパクトなFRスポーツセダンの後発ライバルが登場しなかったこともあり評価が上昇。つい近年まで中古車価格が安価だったこともあり若者向けのFR入門車として人気があった。しかし昨今のMT車高騰の例に漏れず中古車価格がRS、ASともに上昇傾向にある。