概要
1220年生~1263年没
ウラジーミル大公ヤロスラフ2世の子で1236年にノヴゴロド公となる。
同年に始まったモンゴル帝国のルーシ侵攻ではノヴゴロド公国は難を逃れたが、スウェーデンやドイツ騎士団から領土を狙われている状態であった。
1240年にスウェーデン軍が侵攻した際にネヴァ河にて小勢ながらもスウェーデンの大軍を撃破し、この功績から後世にてネヴァ河の勝利者という意味を持つネフスキーと呼ばれるようになる。さらに1242年にはドイツ騎士団の侵攻に対してチュド湖の氷上にてドイツ騎士団を撃破した。
ジョチ・ウルスの支配に対しては度々ジョチ・ウルスの本拠地であったサライを訪れる等友好・従順的な方針をとってウラジーミル大公となりジョチ・ウルスの後ろ盾を得てルーシにおける権威を高めていった。正教会の熱心な信者としても知られ、没後の1547年に正教会の聖人に列聖された。