概要
正式名称は「エルサレムにおけるドイツ人の聖母マリア騎士修道会」。
※英語では"the Order of Brothers of the German House of Saint Mary in Jerusalem"、ドイツ語では"Orden der Brüder vom Deutschen Haus der Heiligen Maria in Jerusalem"。
別名「チュートン騎士団」のチュートン(テウトネス)とは、古代ゲルマン民族の一部族の名前。「ドイツ」という名前の由来とも言われる。
歴史
ドイツ騎士団(チュートン騎士団)は、テンプル騎士団・聖ヨハネ騎士団と並ぶ三大騎士修道会の一つだった。十字軍等において聖地エルサレムに赴いたドイツ人を主体とする組織として、1198年にローマ教皇により公認された。
元々は聖ヨハネ騎士団らと同様に、聖地エルサレム近辺での病院経営や巡礼者の護衛を行っていた。
1229年、ポーランド北部を領するマゾフシェ公コンラト1世の招聘により、プロイセン(※1)やバルト海沿岸地域(※2)における非キリスト教徒の改宗と征服活動に従事する事になった。
その後、プロイセンを中心に所領を持ち、実質的な国家を築き上げる。
※1 おおむね現在のドイツ東部を中心とした地域。ポーランドとロシアをも含み得る。
※2 現在のバルト三国。
中世期にはポーランド及びリトアニアと争いつつ独自の勢力を保っていたが、近世に入り次第に衰退。1809年にはナポレオンの命令にて軍事組織としては解散し、以後は現代まで慈善団体として継続する事になる。