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概要編集

フルネームを、「アレクサンドル・グリゴリエヴィッチ・ルカシェンコ」

ベラルーシ共和国の初代大統領だが、その強い独裁体制から欧州最後の独裁者とも呼ばれる。

権力欲の強い人間として知られる一方、その手段を問わない行動や気難しい性格から「奇人」としても知られている。

特に後述するウクライナ侵攻での彼の行動や言動は、良くも悪くも好奇の視線を集め、かつ事実上ロシアに加担する姿勢を非難されると同時に、結果的にベラルーシを戦火から守っている事から、彼の外交手腕に対する評価をより難しいものにしている。


略歴編集

1954年8月30日に生まれる。民族的にはルカシェンコはウクライナ人であり、父親についてはほとんどわかっていない。

主に歴史、農業、経済について学んだのちに、1975年に大学を卒業。

1990年に政治活動を開始し、1994年には、ベラルーシ共和国初代大統領に就任し、以降ベラルーシの独裁者としてその地位を守り続けている。


評価編集

不正選挙による大統領就任に始まり、基本的には悪行や悪名で名の知れた人物であり、概ね良い評価はされない。

特に内政においては反対派に対する暴力を伴った弾圧が相次いでおり、国際的な人権団体が抗議の声を上げ続けている非常に暴君的な人間であると言える。国内経済も大きな混乱こそないものの、成長し続けるITを差し置いて農業畑のルカシェンコは農業に莫大なコストと人員を投じており、国内産業の成長を妨げていると見なされている。


その一方で、ロシアとヨーロッパの間で強かに立ち回り、常にロシアとヨーロッパの双方から経済支援を受ける外交手腕を発揮している。

特に、ウクライナ侵攻以降は、絶妙な立ち回りを見せることから、かつてのプーチンとはベクトルの違ったある種の面白おじさんとしての人気を得ている。


また、後述のウクライナ侵攻にもある通り、彼の外交手腕はある種の神がかり的な領域にあると言っても過言ではなく、煮ても焼いても食えない狸親父っぷりを評価するものも多い。


ウクライナ侵攻での立ち位置編集

ウクライナ侵攻においては、ベラルーシ及びルカシェンコはロシアの協力者という立ち位置にある。

ウクライナ侵攻直後においては、ロシア軍はベラルーシとの合同軍事演習を行うという名目でベラルーシ国内に軍隊を派遣し、北方からウクライナ及びその首都のキーウを攻撃する支援を行った。


しかし、ロシア側の当初の軍事作戦が失敗して以降は、ロシア側からの支援要請やその圧力に対して要請に応じる返事こそするものの、実際には理由をつけて軍隊の派兵や兵器の供与などを避ける、いわゆる空弁当を続けており、じゃがいもを収穫する為に軍隊に動員令をかけるなどの行動から、世界を唖然とさせた。


かのワグネル反乱においては、モスクワ目前の反乱軍と政府側の仲裁を行い、本格な内乱を回避させた。


一方で、当初こそロシア側としてウクライナ侵攻に関わっておきながらも、手段は問わずにベラルーシを戦争に巻き込まない為に奔走しており、下手をすればロシア政府やプーチン政権ともども、世界中から制裁や報復措置を取られている立場でありながら、破滅的な戦禍から距離を取っているルカシェンコの手腕に注目する者も多い。


人物編集

趣味はアイスホッケーと農作業。

アイスホッケーはプロチームに所属するほどの入れこみ様。

農作業については半袖半パンで芋掘りをする写真が有名。なおソ連時代はソフホーズ(集団農場)の支配人を務めていた。薪割りの手際はかなり良い。外部リンク


COVID-19においては「ウォッカを呑み、外に出て汗を流せば感染などしない」と居酒屋の飲んだくれ親父のような発言をして話題になった。その数か月後に感染するというおまけつき。


関連タグ編集

独裁者 狸親父


フランシスコ・フランコ:スペインの政治家。スペイン内戦で勝利し独裁制を敷いた。第二次世界大戦で中立を宣言し、日和見的な立場を貫いた事が類似している事から例えに出される事がある。ただしこちらは内戦で国内が疲弊していたための事情が大きい。

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