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アレハンドロ・ホドロフスキー

あれはんどろほどろふすきー

アレハンドロ・ホドロフスキー(Alexandro Jodorowsky Prullansky)は、チリ出身の芸術家、劇作家、俳優、映画監督、漫画原作者、心理セラピスト。
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概要編集

カルト映画として知られる『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』の監督であり、メビウスらと組んで多くのバンドデシネを発表した漫画原作者であり、心理療法「サイコマジック」を提唱するセラピストとしての顔も持つ、現代の怪人物。

1970年代に『デューン/砂の惑星』の映画化に着手し超豪華メンバーをスカウトするも、あえなく頓挫した話は映画史における一つの伝説になっている。

彼の提唱する「サイコマジック」は、治療者にロールプレイをさせ、無意識を欺くことでトラウマを克服するというもの。近作である『リアリティのダンス』『エンドレス・ポエトリー』は自らそれを実践した映画で、ホドロフスキーの少年期・青年期と幻想を織り交ぜた自伝的作品である。


来歴編集

1929年2月17日、トコピージャ出身。ロシア系ユダヤ人。

1953年、フランスに渡り放浪生活を送ったが、マルセル・マルソーと出会い舞台演出を始める。

1957年、トーマス・マンの小説『LA CRAVATE』を原作に短編映画『すげかえられた首』を監督。

1960年、メキシコに渡り、劇団を主宰。

1962年、フェルナンド・アラバール、ローラン・トポールらとともに「パニック・ムーブメント」を結成。パフォーマンス活動を行う。

1967年、アラバールの小説『ファンド・アンド・リス』を映画化。

1970年、自ら主演したファンタジー西部劇エル・トポ』を製作。翌年封切られた同作は各界の著名人に絶賛され、カルト映画となった。ビートルズの事務所社長は同作の権利を買い取り、次回作『ホーリー・マウンテン』に100万ドルを出資した。

1975年、SF小説デューン/砂の惑星』の映画化に取り組むも実現しなかった。頓挫した企画にもかかわらず、このとき集められたメンバーの一部が『エイリアン』を製作するなど後の映画界に大きな影響を及ぼした。ホドロフスキー自身もジャン・ジローと親交を深め、バンドデシネ原作者としての活動を始める。

2013年、『デューン』映画化の顛末を追ったドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』が製作される。今作をきっかけにプロデューサーのミシェル・セドゥーと再会したことで映画監督に復帰した。


作品編集

映画編集

『すげかえられた首』1957年

『ファンド・アンド・リス』1967年

エル・トポ』1969年

ホーリー・マウンテン』1973年

『Tusk』1980年

『サンタ・サングレ/聖なる血』1989年

『ホドロフスキーの虹泥棒』1990年

リアリティのダンス』2013年

『エンドレス・ポエトリー』2016年


漫画原作編集

アンカル』作画:メビウス

『メタ・バロンの一族』作画:フアン・ヒメネス

『猫の目』作画:メビウス

『天使の爪』作画:メビウス

『アラン・マンジェル氏のスキゾな冒険』作画:メビウス

『テクノプリースト』作画:ゾラン・ジャニエトフ

『ファイナル・アンカル』作画:ホセ・ラドロン、メビウス

『バウンサー』作画:フランソワ・ブック

『フアン・ソロ』作画:ジョルジュ・ベス

『カスタカ』作画:ダス・パストラス

『ビフォア・アンカル』作画:ゾラン・ジャニエトフ


関連タグ編集

演出家 / 映画監督 / 原作者

カルト映画 / バンドデシネ


外部リンク編集

アレハンドロ・ホドロフスキー - Wikipedia

アレハンドロ・ホドロフスキーとは - ニコニコ大百科

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