概要
「アロハ」は現地で広く使われるあいさつであると同時に「愛」や「誠実」、「慈しみ」といった意味を持ち、ハワイの人たちの精神性・社会規範を象徴する言葉でもある。
詳しい起源は定かではないものの、ハワイにおいて洋装が一般化した19世紀末より、移民の仕立て屋によって、自国から持ち込んだ布地で仕立てたシャツが作られるようになったのが始まりとされる。
シャツが作られるようになったのは、日系移民が着ていた着物の柄を現地の住民が気に入り、開襟シャツに仕立て直して欲しいと頼んだのがきっかけという説が有名である。また、ヨーロッパの船員が着ていたパラカシャツを、日系人が木綿の絣に似ていると好んでおり、日本から持ってきた着物を仕立て直す際にシャツ風にしたという説も知られている。
1935年にはホノルルにあった「ムサシヤ商店」という日系呉服店が「アロハシャツ」の名前を使って広告を発表している。また中国系商人のエラリー・チャンが、ムサシヤ商店に依頼して和柄や花柄のシャツを浴衣地で仕立てさせ、これを「アロハシャツ」として販売、後に商標登録出願したという記録が残っている。この商標登録の都合上「ハワイアンシャツ」と呼ばれることも多い。
第二次世界大戦後、日本から様々な意匠の生地が輸入されて柄のバリエーションが増え、ハワイでは冠婚葬祭に正装として用いられるほどに普及し定着。現在ではハワイをイメージさせるアイテムの一つとなっている。
当初は落ち着いた和柄が多かったが洋柄も増え、特に花(ハイビスカスなど)や波、パイナップルなど、南国風のモチーフをあしらったカラフルなものが知られる。
正装・民族衣装の一つとして、KONISHIKI(元・大関「小錦」)は先輩大関「北天佑」の葬儀にアロハシャツで参列した。
ハワイにおいては、ボタンにヤシの実を用いたものだけが「アロハシャツ」であり、プラスチックボタンのものは「アロハ風」に過ぎない。しかし、ハワイ以外の地域ではその辺の定義が曖昧で、アロハシャツ専門を謳う業者、ヴィンテージものでも、プラのほかシェルや金属製のボタンのものは多い。
沖縄にはこれによく似た「かりゆしウェア」という服があり、「沖縄アロハシャツ」と紹介されることがある。こちらも正装として冠婚葬祭で着られている。
創作において
ステレオタイプなヤクザ・チンピラの服装の一種であり、「本職」でなくても香具師(テキ屋)や遊び人といったキャラクターの服装としても用いられている。
アロハシャツを着用しているキャラクターには、小説『化物語』の忍野メメや、小説『人類は衰退しました』の助手さん、ヒプノシスマイクの碧棺左馬刻などがいる。