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1960年8月8日生まれ、北海道出身。最高位は大関、幕内最高優勝2回。

1968年元大関増井山が北海道へ、新弟子(後の黄金錦)をスカウトしに北海道室蘭市を訪れた時、たまたま近所で遊んでいた体の大きい少年(後の北天佑)を見つけ声をかけたのがキッカケとなる。

2年後に北天佑が小学4年生の時も親と誓約書を交わすため訪れた程、小学生の時からオーラを発していたらしい。

一足先に入門した近所の子のオマケで見い出された方が大力士となっていった。

取り決め通り中学卒業後に三保ケ関部屋に入門。

1976年3月場所初土俵、1980年5月場所新十両、1980年11月場所新入幕。

千代の富士とは14勝33敗、小錦とは17勝13敗、琴風とは12勝12敗、旭富士とは16勝22敗、大乃国とは14勝22敗。

大関在位は当時史上2位の44場所(現在は歴代5位)。

1990年9月場所で引退、二十山を襲名。

2006年6月、癌のため死去。

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北天佑
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