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概要編集

本名はウルリッヒ・ハンス・ヨアヒム・アントン・ヨーゼフ・ロート(1954年12月18日~)。ジーノ・ロート(故人)は実弟。

西ドイツ出身のギタリスト

ドーン・ロードスコーピオンズエレクトリック・サンなどで活動後、ソロ。

スコーピオンズ時代までは「ウルリッヒ・ロート」と表記されていた。若い頃から老け顔で、日本では「ギター仙人」などと仇名される。

ディミニッシュ・アルペジオやハーモニック・マイナー・スケールを多用し、デビュー当時からエコノミー・ピッキングやスイープ・ピッキングを速弾き以外の目的で使用していた。


来歴編集

1954年、デュッセルドルフ市(西ドイツ)に誕生。少年時代はホルンなどを吹いていたが14歳でクラシック・ギターを始め、15歳でジミ・ヘンドリックスの公演を見てファンになる。

1971年、ドーン・ロードを結成。クラシック・ギターの講師を務める。


1973年、ルドルフ・シェンカーに協力してロック・フェスに出演。その後、ドーン・ロードにルドルフ・シェンカーとクラウス・マイネが加入。RCAレコードと契約し、バンド名は「スコーピオンズ」を使用することになる。アルバム『電撃の蠍団 フライ・トゥ・ザ・レインボウ』発売。

1975年、アルバム『復讐の蠍団 イン・トランス』発売。

1976年、アルバム『狂熱の蠍団 ヴァージン・キラー』発売。ジミ・ヘンドリックスの愛人だったモニカ・ダンネマンと出会い、ギター道を追求する事を決意。次のアルバムのレコーディング終了後にスコーピオンズから脱退することを申し出る。

1977年、アルバム『暴虐の蠍団 テイクン・バイ・フォース』発売。販促のための来日公演の依頼が来たため、メンバーに説得され同行することにする。

1978年、初来日。中野サンプラザでのライブがアルバム『蠍団爆発!! スコーピオンズ・ライヴ(Tokyo Tapes)』として発売される。スコーピオンズを脱退。


1979年、エレクトリック・サンを結成。アルバム『天地震動~ジミ・ヘンドリックスの魂に捧ぐ』発売。

1981年、アルバム『ファイヤー・ウインド』発売。

1983年、オリジナル・ギター、"スカイ・ギター"第1号を製作。

1985年、アルバム『アストラル・スカイズ~天空よりの使者』発売。

1986年、エレクトリック・サンの活動を休止。ソロ活動に転ずる。


1996年、モニカ・ダンネマンが自殺。スカイ・オブ・アヴァロン名義でアルバム『プロローグ~天空伝説』発売。

2003年、アルバム『メタモルフォシス~天界の旅』発売。

2005年、破産宣告。

2008年、アルバム『アンダー・ア・ダーク・スカイ』発売。

2015年、思い出ある中野サンプラザの解体を惜しみ、『トーキョー・テープス・リヴィジテッド~ウリ・ジョン・ロート・ライヴ・アット・中野サンプラザ』発売。


使用機材編集

スコーピオンズ最初期までギターはギブソンファイヤーバードだったが、フェンダーストラトキャスターに移行し、1983年よりスカイ・ギターを使用。


関連タグ編集

洋楽 ギタリスト ロック スコーピオンズ

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