概要
『マジカル頭脳パワー!!』に登場したクイズ。
左右(後に上下)に分割した2つの画面の間違い(エラー)を探すクイズ。
「マジカルミステリー劇場」終了に伴い、1992年4月よりラストクイズとして登場。以後、コーナー名やルールを多少変えながらも1997年11月13日まで続き、『マジカル』の中で最も長く放送されたクイズとなった。
1000点の副賞「マジカルミステリーツアー」に待ち受ける最後の難関として立ちはだかることが多い。
当記事ではリメイク版にあたる「マジカルチェック 5つのちがい」も併せて解説する。
各バージョン
「早押しエラーを探せ!」(6人時代)
全バージョンに共通して、間違った際のお手つきはないが、正解すると解答権がなくなる。
エラーの数は5つ。つまり、必ず1人は0点となる。
画面は左右対称で、「鏡に映っている」という設定となっているが、同じ方向に動くなど、鏡を無視したエラーは大体出てくる傾向にあった。
映像は3回目までが通常の速さ、4回目からスローモーションになり、6回目で怪しい所に印が付いたり映像が逆戻りするようになり、7回目が最後の映像となる。
一時期には、あからさまに違うエラーが1つか2つあり、そのエラーの頭脳指数(得点)は、1点~9点という1桁得点だったり、35点や69点といった中途半端な点数もあった。
なお、以降のバージョンとは違い最高点は250点前後になることが多く、300点は滅多に出なかった。
「早押しエラーを探せ!」(7人時代)
解答席が7枠に増えた辺りから、画面が上下分割に変更された。
エラーの数は6つで、こちらも必ず1人は0点になる。
このバージョンから最高点が300点に固定され、1桁得点などの中途半端な点数はなくなった。
頭脳指数(得点)も190点以下が2つ~3つ(90点以下も含む)、200点台が2つから3つ、300点が1つという幅の広さがこのバージョンの特徴でもあった。
映像は2回目までが通常の速さ、3回目からスローモーションになり、5回目で怪しい所に印が付いたり映像が逆戻りするようになり、6回目が最後の映像という、前バージョンより少し早まった。
「新エラーを探せ!」
解答席が8枠になった時期から、コーナー名を「新エラーを探せ!」に変更。
エラーの数は5つに固定され、答えられなかった3人は0点となる。
このバージョンの特徴は、全体的に高得点になったことで、5つエラーのすべてが200点以上になることが多く、初代なら1桁得点になるような分かりやすいエラーでも150点以上は獲得出来た。
映像は1回目のみ通常の速さで、2回目からスローモーションおよびエラーの内訳、3回目から印が付き、4回目で終了となる。
一時期には、北野大をモデルにしたおじさんが登場していた。
ちなみに、居残り早押しクイズ時代のタイトル画面BGMが使われた最後のクイズでもある。
1997年11月13日を以て5年半の歴史に幕を下ろし、翌週11月20日からは「有名人を探せ!」に変わった。
「マジカルチェック5つのちがい」
1998年4月2日のSP『大マジカル頭脳パワー!!』から登場。(大マジカルのため、この回は「7つのちがい」だった。)
4月23日よりオープニングクイズとして登場。これまでとは異なり、ペンを使って間違った箇所を囲むのが大きな違いで、要望があれば、映像の巻き戻しも出来た。
最高点は200点で、90点以下のエラーは出なかった。
ちなみに得点発表のBGMは『踊る!さんま御殿』でも使用されている。
7月23日を以て放送終了。翌週7月30日からは解答席が大幅にリニューアルされることとなる。
名場面・珍場面
『マジカル』の中でも最も長く続いたクイズで、トップ頭脳賞・ひいてはマジカルミステリーツアーを賭けた最終関門だったことから、1000点を突破して喜んだり、990点に終わって本気で悔しがるなど、数多くの名場面が生まれた。
所ジョージ
所ジョージはミステリーツアーが10回で勿論史上最多だったが、990点止まりも最多の10回だった。
単独トップでミステリーツアーが懸っていない状況では逃げ切りを図るべく早々と答えることが多かったが、千堂や俵に逆転されたこともあった。
逆にミステリーツアーが懸っている場面では慎重になり高得点を狙うが、寛平やゲストに阻まれることもあった。
千堂あきほ
千堂が好調の時には、逆に所は不調となることが多かった。
トップ頭脳賞は何度か獲得するもなかなかミステリーツアーに届かずいたが、1994年7月14日で自身唯一のミステリーツアーを達成(1110点)し号泣した。
俵孝太郎
俵はクイズが長引くことを嫌っていたのか、簡単なエラーを早々と答えて低得点となることも多かった。
俵はミステリーツアーを2回獲得しているが、そのうちの1回は「ミステリー劇場」のもので、「エラーを探せ!」時代のミステリーツアー達成は1992年12月5日(1050点)の1回だけだった。
間寛平
居残り早押し時代にはミステリーツアーどころかトップ頭脳賞獲得もたった1回だけだった。
「エラーを探せ!」では伏兵ポジションになることが多く、高得点を答えて所のミステリーツアーを阻んだことが何度かあった。(1992年11月14日など)