概要
カードの種類の一つで、クリーチャーに装備することによって、そのクリーチャーに能力を与える武器のようなカード。
イラスト枠は左端が鋭角になる形の五角形になっており、フルフレーム仕様の場合はカード名が書かれている部分が同様の形になる。DMRP-01でカードフレームが一新されてからはイラスト枠はクリーチャーと共通、テキスト枠は呪文と共通というデザインに変更された。
クロスギアをバトルゾーンに出すことを通常は「ジェネレート」と呼び、装備することを「クロス」と呼ぶ。
転生編で登場し、不死鳥編から極神編までは姿を見せなかったが、戦国編で大々的に復活した。サムライ種族を持ったクロスギアが登場したのも戦国編である。
クリーチャーと同じく、一度バトルゾーンに出せば、破壊されたり何らかの効果でバトルゾーンを離れるように指示されない限りはバトルゾーンに残り続ける。もちろん、クロスしたクリーチャーがバトルゾーンを離れても、クロスギアは場に残る。
また、一部にはクリーチャーにクロスされていない時に効果を発揮するクロスギアも存在する。
クロスギアのジェネレートおよびクロスは、基本的にクリーチャーの召喚などと同様の手順を踏み、メインステップにコストを支払うことで行われる。
ただしジェネレートとクロスのそれぞれにコストを支払う必要があり、すでにクリーチャーにクロスされているクロスギアでも、コストをもう一度払えば再度別のクリーチャーにクロスすることが可能。
その際元のクリーチャーからはクロスが解除されるため、1つのクロスギアを複数のクリーチャーにクロスすることはできないが、逆に1体のクリーチャーに複数のクロスギアをクロスすることはできる。
背景ストーリーでの扱い
転生編
転生編の時代に開発され、使用されるようになった魔道具。
最初はクリーチャー達に畏敬の念を持って扱われていたが、次第に畏敬の念が忘れ去られ、その性能はとどまることを知らずに発展し続けた。
そしてその果てに、『最終魔道具』と呼ばれるクロスギアから進化する五つの『進化クロスギア』が創り出された。
しかしあまりに強力すぎた力はとても制御できるものではなく、これらの暴走によって大地が焼け海は荒れた。
遂には暴走を続けるクロスギアが衝突。その膨大なエネルギーによって時空の裂け目『ユニバース』が出現。
あらゆるものをブラックホールのように飲み込むユニバースによって世界は『フィオナの涙』や『アカシック・スリー』など僅かな名残を残して消滅。
かろうじて生き残った者たちは僅かな希望に縋って禁忌とされた東方血土への移住を決断した。
クロスギアは再び恐怖の対象となり自然と忘れ去られ、戦国の世が訪れるまで忘却の彼方へ封印されることとなった。
ユニバースによる未曾有の大災害は一万年後の不死鳥編の時代にまで続く事になる。
戦国編
サムライ達の武器。
サムライの最終兵器である《超銀河剣 THE FINAL》が開発されるなど,この時代でもクロスギアの開発・発展は行われ続けているようであり、《超銀河剣 THE FINAL》が「サムライの魂」と評されるなどサムライにとって貴重な存在だと思われる。
ドラゴン・サーガ
クロスギアの開発者にして仙界一の天才とされる人物、ミロクは長命かつ次元移動が可能で、アイデアをすぐさま現実にする技量でクロスギアの改造を行っており、崩壊して久しい「パンドラ・スペース」を物置に利用する形でサイキック・クロスギアを完成させる。
これがドラゴン・サーガ編のキーアイテムであるドラグハート・ウエポンの原型となった
その後の時系列ではドラグハート・ウエポンの存在もあり、ほぼ完全にフェードアウトする。
革命ファイナル
《蒼き団長ドギラゴン剣》の持つ剣《龍剣 星王紅鬼勝》が登場。
効果テキストや各メディアミックスでの描写から、ドギラゴン剣が会得したファイナル革命はこの剣に秘められた力が由来である模様。
《星王紅鬼勝》は後にモルトの手に渡る。
神歌創世記前五文明紀行
それまでは転生編で開発されたアイテムだと思われていたが、そのルーツは300万年以上も前の遥か古代、オリジンの時代にまで遡ることが判明。
《天龍神アークゼオス》が更なる強さを求め、《炎龍神ヴォルジャアク》の造った兵器を他文明でも使用できるように改良することをミロクに依頼したことが全ての始まりだったようだ。
しかし、クロスギアの開発中に依頼主のアークゼオス含む五龍神たちは《神歌の歌姫アマテラス・キリコ》率いる『蒼狼の一族』によって封印されてしまい、成果物であるクロスギアのみが遺された。
その後は仙界に籠ったミロクによる製造と改良が、転生編で下界に解き放たれるまでの永い時をかけて繰り返されることとなった。
DM-15版《巡礼者シリアス》のフレーバーテキストに書かれている、ミロクが復活させた「失われた秘技」とは、クロスギアがオリジンとヴォルジャアクに由来する物であったことを指していると推測される。