ジャン=ミシェル・バスキア
プエルトリコ系とハイチ系の血を引く黒人画家でありウォーホルにキース・ヘリングと並ぶポップアートの旗手の一人である。
グラフィティアート界ではカリスマとしての扱いが大きいものの本人の絵心はグラフィティとはあまり関係ない。
ただ、デッサン狂いのようなぎこちなさそうな描写を絵心にわざと表現しており、アウトサイダーアート同様に評価する人を選ぶことも多い。
生い立ち
子供の時から絵を描くことが好きであり、母親からも画家になるように勧められるほど絵心に自信を持っていた。
1980年に正式に画家となりデビューを迎える最中、アンディ・ウォーホル、キース・ヘリングを初めとした芸術家と知り合うようになり交流を深めるようになる。1983年にはモナリザをリメイクしたこともあった。
特にウォーホルとは共作を制作するなど交流が深かった。日本でも作品展を開催していた経歴があり美術手帖にも本人の記事が軽く採り上げられたりなどマニアには話題を呼んでいた。
それと同時に1987年に作品展の際来日していたが、それほど話題は振るわなかった。
ドラッグにも手を出し続けていた影響で健康を悪化していき、妄想癖が目立つようになり更にウォーホルが87年に他界するとますますドラッグに溺れていき、1988年8月12日に薬物中毒で帰らぬ人となった。享年27歳。