概要
ロバート・ルイス・スティーヴンソンによる二重人格を題材とした小説「ジキル博士とハイド氏」をモチーフとしたゲーム。
開発はアドバンスコミュニケーションカンパニー、販売元は東宝。
主人公のジーキル博士を操作し、結婚式場へ向かうために数々の妨害を避けつつロンドンの町を駆け抜けるという横スクロールアクションである。
タイトルは「おうまがとき」ではなく「ほうまがとき」と読むのが正しい。
独自のシステムとして「ストレスメーター」があり、攻撃を受ける度にこれが溜まってゆき、一定値以上減ると闇の人格であるハイド氏のモードに切り替わる。
ハイドモードでは左右反転したマップを進み、背景も荒廃し敵は全て化け物となっている。どうやらハイド氏の主観では、ロンドンは魔界、市民はモンスターに映っているためらしい。
ハイドモードで敵を倒すことでストレスメーターが減ってゆき、0に戻すことでジーキル博士のモードに戻ることができる。この際ライフが全快する。
しかし、このハイドモードの進行度がジーキル博士の進行度を上回ってしまうとゲームオーバーになる。
マルチエンディングを採用しており、ハイドモードへの移行を極力避けるとバッドエンドになってしまう。本作の難易度の高さを鑑みるとグッドエンドの方が簡単に到達できるといえる。
あらすじ
ジーキル博士は、人間の心は善と悪で構成されているという理論を提唱する。
彼は自説の証明のために、善と悪を分離する薬を開発し、自ら服用し研究を続けた。
その結果、温厚で紳士的な「ジーキル博士」と、残虐な通り魔「ハイド氏」の二つの人格が生まれる。
だが、その代償か次第に彼は精神を病み始め、次第に薬を服用しなくとも、日常のあらゆるストレスがトリガーとなりハイド氏へ移行するようになってしまった。
婚約者であるミリセントとの結婚を控えたジーキル博士。果たして無事に結婚式の日を迎えることができるのだろうか。
問題点
グラフィックは当時としては細かく描きこまれており、また上記のシステム自体も凝っており決して手抜きゲームではない。
しかしその仕様が悉く嚙み合っておらず、理不尽な難易度でプレイヤーのストレスメーターを溜めさせハイドモードに突入させるクソゲーと評価されてしまった。
なんといっても理不尽すぎる敵の妨害が最大の問題点。
町のあらゆるものが全力でジーキル博士の進行を妨害してくる。ゴミを投げてくる者、音痴な歌声で攻撃してくる者、パチンコを撃ってくる者、転がってくる樽、蜂の隊群、鳥の糞、はたまた爆弾魔など枚挙にいとまがない。
特に爆弾魔はたちが悪く、異様に広範囲の爆弾をわざわざジーキル博士の付近に置いてゆくため、彼の鈍足では逃げることが困難。
なぜ一般市民であるはずの彼らが暴徒のごとく全力でジーキル博士を殺そうとしてくるのかは一切説明がない。もっとも、ジーキル博士もハイドモードで住民を殺しまわっているためお互い様だが…。
そしてジーキル博士自身は移動速度が非常に遅くもっさりしており、ステッキを突き出すしか攻撃手段がない。しかもステッキ攻撃では蜂しか倒せない。きわめて英国紳士である。
ただしハイドモードでは超能力のようなものを使って攻撃することができる。これはジーキル博士の憎悪が形を成したものらしい。
仕様が周知されていなかった発売当時は、大半のプレイヤー最序盤でハイドモードになったきり死んでしまって詰むほどの理不尽さを誇った。そのため当時のプレイヤーの実体験を踏まえると、つまらなさという観点ではファミコントップクラスのクソゲーと言える。