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概要

イギリス生産・調教の競走馬繁殖牝馬

主な勝ち鞍はチェヴァリーパークステークスナッソーステークスなど。

繁殖入りしてシックルアメリカリーディングサイアー2回)、ファラモンド(アメリカで種牡馬として成功)、ハンターズムーンアルゼンチンブラジルで種牡馬として成功)、ハイペリオンイギリスでリーディングサイアー6回)などを輩出した。

プロフィール

性別
毛色鹿毛
チョーサー
セレニシマ母父ミノル
生産者ダービー伯爵(イギリス)
馬主ダービー伯爵
調教師ジョージ・ラムトン
競走成績22戦16勝

略歴

1919年

第17代ダービー伯爵(エドワード・ジョージ・ヴィリアーズ・スタンリー)が所有するスタンリーハウススタッドニューマーケット)で誕生。

ギリシア神話の月の女神セレーネ(セレーネー)から馬名が採られた。

父・チョーサーはセントサイモンの仔で母父として優秀であった。

母・セレニシマは第一次世界大戦に現役時代が被りあまり活躍できなかったが、繁殖に入りトランクイルボスワース等を輩出した。母父・ミノルは2000ギニーステークスとダービーステークスを勝ったが種牡馬としては失敗で、ロシアに売却された後、ロシア革命で消息不明となっている。

1920年

ジョージ・ラムトン調教師の厩舎ニューマーケット)に入厩。

セレーネは父に似て小柄で、ラムトン師はあまり期待しておらずクラシック登録も行わなかった。

1921年

2歳でデビューするとラウスメモリアルステークスチェヴァリーパークステークスホーソンステークスフォダーと同着)を勝つなど11戦8勝の成績を残し、ラムトン師にクラシック未登録を後悔させた。

1922年

クラシック未登録のため、3歳時は主に古馬相手のレースを走った。

ナッソーステークスパークヒルステークスリバプールオータムカップハンプトンコートグレート3歳ステークスなどを勝ち、この年も11戦8勝の成績を残し引退した。

1923年

スタンリーハウススタッド牧場長ウォルター・アルストンはセレーネが小柄なので成熟するまで1年待った方が良いという意見だったが、ダービー伯爵は即、繁殖入りさせた。

1924年

初仔のシックル(父・ファラリス)が誕生。

1925年

ファラモンド(父・ファラリス)が誕生。

1926年

ハンターズムーン(父・ハリーオン)が誕生。

1930年

ハイペリオン(父・ゲインズバラ)が誕生。

1940年

ニュームーン(父・ソルフォ)が誕生。

1941年

オールムーンシャイン(父・ボブスレー)が誕生。

1942年

最後の仔となるシューティングスター(父・ボールドアーチャー)が誕生。

死去(23歳)。

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セレーネ(競走馬)
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セレーネ(競走馬)
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