概要
1936年にトヨタの前身となる豊田自動織機自動車部が発売した、初の量産車。1931年に制作された試作車、A1型を改良して開発された。「トヨタ」でなく「トヨダ」なのは、当時豊田自動織機の読みが「トヨダ」だったから。
1943年まで生産されたが、主にハイヤーやタクシー用途で使われた。当時としてはかなり高価な車だったのだが、その頃タクシーやハイヤーでは主にアメリカの大衆車が使われていたため、同じクラスであると主張するために「大衆車」と称した(そのため販売対象を大衆向けとはしていない)。デザインやメカニズムはアメ車の影響を強く受けており、見た目はクライスラーのデ・ソート・エアフロー風、エンジンは3400ccだったが、インチ規格で制作されていた。トランスミッションは3速MT。シンクロメッシュ機構を備える先進的なメカニズムを採用しており、容易な変速を可能にしていた。扉は当時はよく見られた観音開き。
生産規模が小さかったことから現在のようなプレス機を用いた大量生産は行われず、プレス機を使用したのは一部の部品にとどまった。曲線を多用したボディはなんと人の手で作られている。
バリエーションとしてオープンモデルのAB型フェートン、戦時設計のAC型がある。いずれも戦時に製造されたため民間には出回らず、主なユーザーは陸軍だったようである。
現存車
現存車はほとんど残されていない。AB型はトヨタ博物館に1936年式が展示されており、日本自動車博物館にもある。ACもトヨタ博物館に展示車がある。なお、トヨタ博物館のABは正真正銘の当時品。法政大学体育会自動車部から寄贈されたもので、復元車ではない。
AAはシベリアで発見された改造車の廃車体がAAのなれの果てであることが分かっていることを除けば、現存車は存在しない(この車はオランダの博物館にある)。この車は元々満州にあったものをソ連軍が戦利品として持って行ったものらしく、左ハンドルに改造されていたりトランクが増設されているなど見た目がかなり変わっていて正体不明だったが、トヨタ博物館の学芸員によってAAだと断定されたとのこと。
それ以外は戦争による喪失や戦中から戦後の酷使でほぼ廃車になりスクラップにされてしまったらしく、トヨタも八方手を尽くして探したものの、遂にこの車を見つけることはできなかった。
復元車
現存車を発見できなかったトヨタは、残存する図面や当時存命だった関係者の証言を得て、関連会社のトヨタテクノクラフトで一から復元することとした。
前述の通りインチ規格で作られていることからその単位換算から始まり、図面に書かれていない部分の組み立てが現物合わせだったという驚きの証言が出てきたりもしたらしい。
1986年、復元車は完成したが、監修した自動車評論家は昔のトヨタはシボレーのようだったが、復元車はダッジのようだと評し、当時より高性能になっているということを示唆したという。これはトヨタのミスではなく、図面通り忠実に復元したのだが、当時よりも材料の水準や加工技術が上がっていたため、予期しない性能向上に至ってしまったのだそう。
この復元車はトヨタ博物館のほか、トヨタ産業技術記念館などに展示されており、自走することもできる。クラシックカーの走行イベントなどで走っている姿を見ることができる。このとき得られた復元車の制作ノウハウは後の戦前製のトヨタ車の復元に活かされている。
また、トヨタ博物館で売られているミニカーの値段は3350円なのだが、実はこれは当時の価格と同じ値段に設定されているとのこと(現在の価値に換算すると1100万円)。
関連項目
トヨタ・クラシック - ハイラックスをベースに、AA風の車体にカスタマイズされた車。市販車登場60周年記念で100台限定しか生産されなかった、LFA以上の希少車。