生い立ち
弟のネイト・ディアスも総合格闘家である。
経歴
貧しい家庭に生まれ育った。その影響か荒々しくケンカっ早い性格でムードメーカーとして有名であった。
幼い頃に空手、合気道、レスリングを経験。16歳の時にサンボを始めた。高校生の時は水泳をやっており、現在でもトレーニングの一環としてトライアスロンをする。
小学生の頃から処方薬を常用する落ち着きのない子供で、クラスで暴れると、そのことをクラスメートにからかわれた。中学生の頃には喧嘩をしすぎたために、中学を卒業できなかったと語っている。高校でも周囲と馴染めず喧嘩が原因で中退している。
2001年、プロ総合格闘技デビュー。
2002年7月2日、クリス・ライトルと対戦し、判定勝ちを収めIFC米国ウェルター級王座を獲得した。
2003年3月27日、WECで行われた初代WEC世界ウェルター級王座決定戦でジョー・ハーリーと対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。
2003年7月19日、IFC米大陸ウェルター級タイトルマッチで王者のジェレミー・ジャクソンと対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収め王座獲得に成功。同時に空位のISKA MMA米大陸ウェルター級王座に認定された[3]。
2004年4月2日,UFC47でロビー・ローラーと対戦し、KO勝ち。
2006年2月4日のUFC 57でのジョー・リッグスとの対戦においては試合前から舌戦を繰り広げ、公開計量でも睨み合い・罵り合いを止めないためダナ・ホワイトに引き剥がされるほどであった。試合はディアスが判定で敗れたが、試合後、治療と検査を兼ねた病院内で両者が乱闘を繰り広げ、警察が駆けつける騒ぎとなった。
2006年8月26日、UFC 62でジョシュ・ニアーと対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2007年2月24日、PRIDE初参戦となったPRIDE.33でPRIDEライト級王者五味隆典と対戦。フットチョークで一本勝ち。試合後の薬物検査でマリファナの陽性反応が検出されたため、ネバダ州アスレチック・コミッションの裁定により、4月10日付けで試合結果が無効試合とされ、6か月間の出場停止処分が課せられた。
2007年5月8日、シーザー・グレイシーからブラジリアン柔術黒帯を授与される。
2007年11月10日、EliteXC: RenegadeのEliteXC世界ライト級(-73kg)王座決定戦でKJ・ヌーンズと対戦し、1R終了時に左瞼カットによるドクターストップでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。
2008年5月11日、DREAM初参戦となったDREAM.3のウェルター級チャンピオンシップ代表者決定戦で井上克也と対戦し、タオル投入によるTKO勝ち。なお、従来のDREAMウェルター級リミットの76kgではなく、契約体重77kgで試合が行なわれた。
2008年6月14日、EliteXC: Return of the Kingでムーシン・コーブリーと対戦し、3RTKO勝ち。この試合はディアスが契約体重から約4kgの体重超過をしたため、キャッチウェイトでの試合となった。 さらに、同大会で試合を行ったKJ・ヌーンズの試合後のマイクアピールに乱入し乱闘騒ぎとなった。
2011年にUFCに復帰して元UFC二階級制覇王者のBJ・ペンと対戦。1Rにバックを奪われチョークを狙われるピンチを耐え抜き、2R以降はペンの顔を殴り続け判定勝ちを収めた。
その他
・ADHDを公言しており、医療用のマリファナによる治療を施している。
関連イラスト
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リック・ディアス(似ても似つかない物)