概要
イングランドで生まれた。父親は画家であったため、写生画法を学んでいた。
17歳の頃ニューベリに写生画家として雇われ、その際に初めてエジプトへ行き、そこで学んでいくうちに遺跡の補佐官になった。
その後イギリス貴族で考古学者としても先輩にあたるカーナヴォン卿の援助で「王家の谷」の発掘をスタートさせ、ツタンカーメンの王墓を発見し有名となった。
その後数か月後にカーナヴォン卿が急死したため、墓を暴いた者に対する「ファラオの呪い」として畏れられたが、王墓発掘作業の中心的存在だったカーター本人はその後も平穏かつ健康な人生を歩み、64歳でごく普通にこの世を去った(当時としてはごく平均的な寿命である)。
生涯独身であった。
なお、前述の「ファラオの呪い」は、現在では「発掘作業に関わった人の死亡をマスコミが呪いに関連付けて広めたデマ」であるという説が有力で、事実数か月後に急死したカーナヴォン卿はともかく、他の「呪いで死んだことになっている人」の多くは発掘後それなりに長い年月を経て亡くなっており、死因も不審な点が少ないケースがほとんどである。
加えて、人足として直接的な発掘作業に携わった現地の人々も、(マスコミがノーマークだったためか)呪いで死んだといわれるような人は皆無だったとされている。
ちなみに、前述のカーナヴォン卿の急死も、発掘後に受けた蚊の刺し傷を髭剃りでさらに傷つけてしまい、そこから病原菌が入り込んで肺炎を発症。卿が虚弱体質だったこともあり、急激に容体が悪化して短期間で死亡してしまった、という説が有力である。