概要
第二次世界大戦時にドイツ軍は鹵獲したバズーカを見本に設計された。熟練された戦車猟兵向けの装備のため、パンツァーファウストと違って素人に到底扱えなかった。ロケットの燃えカスが射手に吹き付ける欠点があるためガスマスクと手袋が必須だった。照準用の防循が付属していた。
しかし、その破壊力は非常に強力であり、当時の戦車の正面装甲を貫徹する威力を誇っている。
はじまりに
開発の発端はアフリカ戦線において、アメリカのバズーカを鹵獲したことに始まる。
これを見たナチスドイツは少人数(2人)で戦車にも対抗できる事実に驚き、さっそく「同じものを自軍向けにも欲しい」と考えた。
そこでさっそく作られたのが最初の型
『8.8cmラケテン・パンツァービュクセ43型(RPzB43)』である。
この兵器にはバズーカにドイツ独自の考えを盛り込んでおり、
・口径を拡大して威力を増した(60mm⇒88mm)
・コイルと磁石を使った電気式撃発装置を開発してバッテリーを省略
(バズーカでは撃発にバッテリーが必要)
といった特徴を持っていた。
重量は倍近くに増えていたが、(5.9kg⇒9.25kg)
重くかさばるバッテリーが不要になった事は大きく、持ち運びには格段の進歩を遂げている。
また射程こそ150mと変わらないが、大径化のおかげで威力は大幅に上回った。
発射時はガスマスク等の防火装備を身に着けなければいけないが、これはバズーカも同様である。
登場して早くも「パンツァーシュレック(戦車の恐怖)」との異名を頂戴し、1943年末には歩兵のなかでも対戦車兵(戦車猟兵)向けに配備が始まった。
時あたかもクルスク戦敗北の年末。
荒波のごとく寄せくる戦車に立ち向かう歩兵を予感させる配備である。
激闘のなかで
一進一退の戦況にあって、歩兵でも戦車に対抗しうる兵器の配備は大きな助けとなった。
だが、尽きることを知らないソ連の猛攻の前には、それすら時間稼ぎにもならない。
戦車を十分に生産・配備できるのなら、そもそもこんなモノに頼る必要はないのだから。
それでもパンツァーシュレックには改良が続けられ、1944年末には発射炎よけに防盾を追加した
『8.8cmラケテン・パンツァービュクセ54型(RPzB54)』が開発されている。
これでガスマスクは要らなくなったが、重量は10.7kgに悪化。もちろん原因は防盾である。
当時のドイツはすでに深刻な物資不足に陥っており、軽合金(この場合アルミなど)を使う訳にはいかなかった。結果、防盾に使われたのは鉄であり、これはかなりの重量になった。
(例として、大きさ1m四方・厚さ1mmの鋼板でも重量は7.8kgになる)
扱い慣れた者にとって邪魔モノでしかなく、これを取り外して今までどおり(ガスマスク着用で)扱う者もいたという。
最終進化
さて、『重すぎる!』としてすっかり不興をかってしまったパンツァーシュレック54型だったが、実は最終モデルへの進化を残していた。
『8.8cmラケテン・パンツァービュクセ54/1形(RPzB54/1)』が登場したのだ。
これは防盾(で増えた重量)のかわりに砲身を30cmほど切り詰めて軽量化し、43型と変わらない重量を達成している。もちろん、資源節約も兼ねての軽量化だったのは言うまでもない。
弾薬も改良されて射程が増しており、一段と強力な兵器になった。
だが、45年の登場ではいくらなんでも遅すぎ、結局は大して貢献できずに終わってしまった。
・・・なお、ドム・トローペンの「ラケーテン・バズ」はこの54/1型を元ネタにしている。
戦車vs歩兵
さて、登場の際には多大な期待が寄せられていたパンツアーシュレックだったが、実際には大きく
戦況を左右するには至らなかった。どうしてだろうか。
それは射程が短すぎ、射程外から一方的に攻撃されてしまうからである。
150mという距離は戦車にとって「一瞬で走り抜けてしまう程度の距離」でしかなく、
実際に射程外からの砲撃で多くの対戦車兵が沈黙させられてしまったのだ。
パンツァーファウスト(射程30m)に比べればマシとはいえ、戦車に立ち向かうにはやはり決死の覚悟が必要だったのである。
(それは現代でも変わっていないし、この手の対戦車兵器に共通する欠点でもある)
身を隠す場所に事欠かない、山岳地や市街地では幾分マシではあったが、ロシアでは平原が多くあまりそうした期待はできなかった。
この兵器が威力を発揮するのは戦車が不用意に突進してきた場合に限られ、しかもタンクデサントよりも「早撃ち」でなくてはならない。
突入と同時に歩兵が展開するため、モタモタしていたら狙撃されてしまうのだ。
(タンクデサントは決して人命軽視なだけでは無かった)
戦後、ソビエトはパンツァーファウストを参考にRPG-2(のちに発展してRPG-7となる)を開発したが、パンツアーシュレックを直接参考にした兵器は作らなかった。
結局は軽さ、簡単さを重視したのだった。
それでも・・・
戦後、ソビエトはパンツァーファウストを参考にRPG-2を開発した。
一番のちがいは「弾頭を装填しなおせば再利用可能」という点で、こういった所はパンツァーシュレックに似ているとも指摘できるだろう。
さらなる発展型であるRPG-7では弾頭にロケットブースターを追加している。無反動砲として発射されて安全距離(射手が発射炎を被らない距離)に達した後、ロケット推進に切り替えることで射程延伸に成功。
RPGはパンツァーファウストから発展した兵器だが、技術の発展により「パンツァーシュレックをすっかり代替できる兵器」にもなったのだった。
(射程はもちろん、防火装備が要らないので安全性まで増した)
なお、RPGには完全な使い捨て型もあり、こちらはもちろんパンツァーファウストが元である。
パンツァーシュレックのライバル
なお、ナチスドイツではほかにも成型炸薬弾を利用した兵器は開発されており、なかでも有名なのはWASAG社による「8.8cmRW43」ロケット砲である。
通称は『プップヒェン(お人形ちゃん)』。
射程は700mと長かったが、そこはあくまでロケット「砲」。
大型で不便なのが嫌がられたのか、あまり使われなかった。
(対戦車砲と考えれば、かなり小型でかつ強力な砲だったのだが)
参考資料:グランドパワー10月号別冊「W.W.II ドイツ戦闘兵器の全貌」デルタ出版 1995年、
航空ファン9月号別冊「グラフィックアクション11 ドイツ軍歩兵兵器大百科」文林堂 1992年