歴史~編み籠の奇跡~
開発から配備まで
1932年9月から空軍から出された新型爆撃機の仕様に従って開発が始まり、原型機は1936年6月に初飛行。その年の航空ショーにて最新鋭機として紹介されたが、翌1937年に墜落事故を起こして失われてしまった。しかし、イギリス空軍は生産型を180機発注し、量産1号機Mk.1は1937年12月に初飛行した。
1938年から部隊配備を開始。第二次世界大戦開戦時には6個飛行隊に配備されていた。
第二次大戦
1939年
9月4日。エルベ川河口の都市ブルンスビュッテルを爆撃する為、14機が出撃。これが初陣となる。しかし、目標すら発見できず、約290km(ガバガバだから誰か計算し直して下さい)北のデンマークの港町エスビアウを誤爆。民間人に被害を出した。
その後しばらくは昼間爆撃に用いられていたが、12月の作戦で参加機の半数以上が喪失または大破という大損害を出した為、本機は夜間爆撃任務に回されることに。残当。
大戦後半にもなると爆撃機としての運用も難しくなり(性能面と相手)、1943年秋以降は沿岸航空隊における対潜哨戒や輸送、爆撃練習などで利用されるようになった。
これらの任務にも最適だった本機は専用型の生産が続けられ、最終生産機がラインを出たのは大戦終結後の秋、1945年10月だった。
特徴
角張った胴体の双発機という見た目はごく普通の爆撃機だが、構造が英国面。
全金属製一辺倒のこの時代に、大圏構造を採用している。これは細い金属材を籠状に編んだ物をフレームとし、その上に羽布を張った構造である。ぶっちゃけ第一次世界大戦の機体と余り変わらない(あっちは木鉄混合フレームだけど)。頑丈かつ軽量で多少の敵からの攻撃でも大きな破壊から免れることが出来る(プスプスと穴が開くだけ)という利点がある。反面、製造工程が複雑になることや、気密性に劣るため高高度での活動には不向きである等の欠点もあった。
また製造時間は通常で60時間で製造されるが、カリフォルニア州の工場は23時間50分で作り上げたとのこと。